
2025年が、終わる。
毎年のことだけれど、新年が始まったと思ったら春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬が来て、「もう12月か・・・」と唖然とします。
2025年は種まき、試行錯誤の1年でした。そして、まだ漠然とだけど、進むべき方向性がようやく見え始めた。そして、年末には2026年に朗報が届く、その兆しを感じることができた。
育つ種があれば枯れる種もある。いろんなことがあったけれど、少しずつ、種が育ち始めたことに気づけた。そんな1年でした。
そして2025年は久々、札幌にも訪れることができました。札幌という街で過ごした日々の思い出が去来したあの時間は、ほんとうになつかしかった。あの日々は過ぎ去り、長い長い時間が、過ぎてしまった気がする。
そしてあの夢のような暮らしは、文字通り夢のようなもの。だけれどまた、その夢を見たい。そんな気持ちになりました。
それと年末、ひとつの邂逅がありました。それは全く予想をしていないタイミングで訪れましたが、自分が「なくしてしまった」と思っていたものが、実はまだ残っていたことを教えてくれて、とてもうれしい瞬間でした。
それは「年を重ねた」ことの意味を知るには十分すぎ、カズオ・イシグロの『日の名残り』のワンシーンを思い起こさせる瞬間でしたが、だからこそ、これから自分が歩む道がよりはっきりと、見えた気がします。
人生はきっと一瞬の夢。「あのとき、あんなことがあった」という夢をいくつ見れるか。それは確かに、人生の痕跡なのだろうと、感じています。

