今日は以前から行きたいと思っていた国宝の彦根城へ。
名古屋→大垣→米原→彦根と電車を乗り継ぎ、彦根城を目指します。
名古屋から彦根までは電車乗り継ぎでおよそ90分ほど、天気も良く、ワクワクしてきます。
駅のホームから改札口へ、ひこにゃんの案内に従い、城を目指します。
彦根藩の藩祖、徳川四天王の一人、井伊直政の像が。勇ましい!
駅から城までの生き方はシンプル。この道をまっすぐ進み、城を目指します。
彦根市役所。世界遺産登録を目指しているようです。
城の途中に護国神社が。
さて、城も目前。歴史を感じさせる道が広がっています。
城の前、かの有名な井伊直弼の辞世の句がかかれた石碑が。
死の直前の二週間前に詠まれた歌だそうで、石碑の説明文を読むと、何とも不思議な気持ちになります。
それにしても何と壮大な石垣!その力強さに圧倒されてしまいます。
かなり歩き、ようやく彦根城内へ。橋を渡り、内部へ向かいます。
入り口で見物料を支払い、いざ天守閣へ。急な坂道を登っていきますが、けっこうきついです。
険しい坂を登ると建物が。しかしまだ上を目指して登り続けます。
だんだんと彦根の街並みが目の前に。何とも表現できない絶景が広がっています。
天守閣への道はまだまだ。かなり長い坂道が続きます。
上を目指して登ること15分ほど、ようやく天守閣へ到着。
この天守閣広場からは、琵琶湖を見渡せる絶景が!
色づいた紅葉、奥に広がる美しい琵琶湖。時を忘れ、景色に見とれてしまいます。
絶景を味わったあとは天守閣の内部へ。靴を脱ぎ袋に入れ、城内へ入ります。
この彦根城天守閣は現存するものらしく、内部の階段は犬山城と同じく、とても急なものになっています。
漆黒の柱、内部の傷だらけの木が、歴史の重さを無言で語りかけてくるような気がします。
天守閣を見たあとは下に降りて博物館を見学。井伊家や彦根藩由来の品々を見学することができます。
こちらは有名な井伊の赤備えの甲冑。この赤の出立、戦場で大いに目立ったことでしょう。
能の舞台。一度じっくり見物したいものです。
こちらは殿様のお茶室横の庭。穏やかな風に虫が鳴く声が聞こえ、何とも言えぬ心地良い空間になっています。
まさに「風情」という言葉がぴったりで、この場所の心地よさ、快適さを自分の貧しい文才では表現できないのがもどかしい気持ちです。
たっぷりと彦根城を見た後は、井伊直弼が不遇時代に臥薪嘗胆をしたという埋木舎(うもれぎのや)へ。
埋木舎は、井伊直弼が彦根藩で将来なく冷や飯を食っていたときの頃、「この身は埋もれてしまっていても、心までは埋もれまいぞ」と不遇時代を自己鍛錬に費やした場所。
17歳から32歳まで、ここで文武両道を極め、やがては江戸幕府の大老として、歴史的な役割を果たすことになります。
訪れてみると、ここは実に悲しげ(世捨て人が暮らすような場所のような匂いがしました)というか、何とも言えない静けさが漂う場所です。
それにしても、人の運命は分からないもので、井伊直弼と埋木舎の話は、我々現代人にとっても示唆に富む話だと思います。
井伊家の末子として生まれ、彦根藩を継ぐ可能性が極めて低かった井伊直弼。
もし、井伊直弼が不遇時代を自己鍛錬せず、「オレの人生は詰んだ、未来はない」と無為徒食に暮らしていたら、もしかしたら幕末の歴史は変わっていたのかもしれません。
※井伊直弼について
井伊直弼というと、安政の大獄で有名な政治家ですが、本来は井伊家を継ぐはずのない人間でした。
彦根藩から僅かな禄をもらって暮らし、政には関わらずに生きていく立場でしたが、藩主の子どもの死や兄の死によって状況が一変。
30代を超えて、歴史の表舞台に登場するようになりますが、17歳〜32歳まで過ごした埋木舎での自己鍛錬期間が、政治家井伊直弼の根本を作ったと考えられています。
どんな不遇のときも、運命に見捨てられたように思えるときも、やがて来るかもしれないチャンスに備え、自分を磨き続ける。
そんな心折れない強い姿勢、絶え間ない自己鍛錬&自己向上の気概を、井伊直弼から学びたいものです。
埋木舎を見た後はこれで彦根観光終了、まったりした気分で彦根駅へ戻ります。
それにしても、のどかでゆったりとした雰囲気が心地良い街です。
ということで、これで彦根城観光終了。
見たいところを全て見れて、これで思い残すことなし。来るべき新しい生活へ向け、前進したいと思います。