突如訃報あり。7年ぶりに金沢へ

石川の田舎

親族の訃報ありで飛行機で名古屋→名神→北陸道で金沢へ。

1泊2日のスケジュールで通夜、そして葬儀に参加しましたが、今回葬儀に参加中、いろいろ考えさせられた経験になりました。

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式の最中に考えたこと

「仏教では生きることと死ぬことは表裏一体」というお坊さんの言葉が印象に残りましたが、死者を見つめることによってこの世で残された人は自分は残された生をどのように生きるのか?

残された時間がどれくらいあるかは分からないけど、人生の最期に後悔しないために今これからをどう生きるか?式の最中に真剣に考えている自分に気づきます。

そして血のつながっている親族の方々をお会いすると、自分がこの世で生を受けるまで、様々なドラマがあったこと。様々な縁があって生かされていること。一族の歴史を強く感じます。

人生にはタイミングあり

生きることは様々なしがらみがあって、昔はそういったものから自由な場所にいる人生を望み、それはここ5〜6年、十分に楽しむことができました。

とはいえ結局人は人のなかで生かされているのだから、今の自分の生き方は自由だけれど根無し草の生き方ではないか?

普段は考えないようなことを考えている自分に驚愕。そして人生もいよいよ次の段階へ進むときが来たのかな、と強く感じています。そう考えれば今回は自分の人生が変わる大きな契機になった気がします。

問題は生き方そのもの

それにしても思うのは、結局人生何を残した、というよりどういう人になったのか。ということ。

どの本だったかは忘れましたが、「人は裸で生まれそして、何も持たずにあの世へいく」と書いてあった言葉は正解で、結局最期は人となり。

誰と過ごしてどのように生きて、そしてどのような人として記憶されるか。最終的に問われるのは、そこなのだと感じています。

となれば自分のことだけ考えて生きていく。それで得られる幸せなど、ほんとうに小さなものなのでしょう。それは故人を偲ぶ方々の様子を見れば明白でした。

最後に

もし自分が故人となり葬式があったとき、今のままの自分だったら一体どのように人々から思われるのか?それを考えると、いろいろ思うこと多数。

今回は自分にとって大きな意味を持つ経験となりました。

当たり前ですが、人生この世にいられる時間は限られています。だからこそその時間をどう生きるか?改めて真剣に考えたいと思っています。

少なくとも後悔する人生はだけは絶対に、ごめんこうむりたい話です。

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