6年間の札幌暮らしを終えて

大通公園

本日、札幌のマンションを引き払い、6年に及ぶ札幌での暮らしが終わりました。

札幌に引っ越してからの6年間はほんとうに、2014年に訪れて以来、都市と自然が融合した美しい街並みに強い魅力を感じ、2015年からは毎月のように飛行機に乗って札幌へ。

そして2015年10月に引っ越し。それからというもの様々な経験をし、様々なご縁に恵まれました。札幌で暮らした日々は、私の人生において美しい夢のような、素晴らしい思い出として、今後も残り続けることでしょう。

はじめに

2020年を契機に時代は急激に変化。あらゆる状況が一変しました。

ジム通いや札幌に来てから始め続けていた華道を休会。外出の機会は激減。仕事は出張がなくなりZoomによるリモートに。個人的には状況が短期間に収束するとは考えず、「最悪」のことを想定し、時間を過ごしてきました。

そんななか、私自身3つの面で変化しなければいけないタイミングであることを、強く実感するようになりました。

1つは私自身の個人的な立場です。健康には全く問題なく日々を過ごしていきましたが、自分のことだけを考えてこれからの日々を過ごすことは難しいということを自覚するようになりました。

普段は問題ありません。問題は何かが起こったときです。私自身「長男」という立場上、素早く飛行機に乗って移動しなければいけないことも起こりえます。そしてコロナの終息が見えない中、再度移動が制限される事態も起こり得ます。

2つ目はキャリアについてです。時代が急速に変わりつつある中、私自身10年20年先を見据えて行動を起こすタイミングに差し掛かってきたことを感じ始めました。

幸いにも、今まで自分がしたいことはやり尽くすことができた現状、今後は本質的な面で、残りの人生において追求すべきことを真摯に追求する時が来たことを、感じ始めました。

そして3つ目は世界情勢の変化です。個人的には今後「まさか」と思うことでさえ起こりうると予想しています。これらの事情から、引っ越すべきか札幌に残り続けるべきか?ギリギリまで悩んだすえ、決断に至りました。

「札幌に住み続ける」というチョイスは可能でした。でも物事にはタイミングがあります。変わるべきときに変わっていくタイミングがあります。今がきっと、そのときだったのでしょう。

札幌での暮らしを振り返って

都会と自然が融合した、美しい札幌での生活は本当に快適でした。

冬は厳しいものの、中心部へのアクセスは容易。そして北海道神宮や中島公園など、憩いの場所に顔を出し、新鮮な空気を味わう。

北海道神宮

5月〜10月の中島公園の雰囲気はほんとうに落ち着きます。

中島公園の池

2020年以前は頻繁に外食。すすきのなどの飲食店で舌鼓を打っていましたが、2020年からはスーパーで買う魚や肉、そして野菜の美味しさを発見。2020年以降はもっぱら自炊で道産食材の美味しさを堪能する日々でした。特に魚の美味しさは最高!

度々訪れた小樽の街

それと、個人的にはよく小樽に出かけていました。

もともと北海道に興味を持ったのが、小樽を舞台にした映画を観て小樽の街並みに魅力を感じたことがきっかけでした。街全体がノスタルジアを醸し出す独特の雰囲気は、何度訪れても、強い魅力を感じたものです。

小樽の運河

最後に芸術村に足を伸ばしてステンドグラスや似鳥美術館の絵画を観てきましたが、文化的な香りが漂うのも、小樽の魅力です。

ステンドグラス

このような美しい細工を見ていると、チェコのプラハで見たボヘミアングラスを思い出します。

美しいグラス品

そして小樽の中でも特に好きなのが、小樽築港から見える海。やや澄んだ色の青色の海が果てしなく広がっていく。この景色は、自分にとって特別です。

小樽築港から見える美しい海

理由もなくこの景色が見たくなり、何度もここに、訪れたものです。

最後に

「札幌の二度泣き」という言葉があります。

本州から札幌へ転勤が決まった人が、遠い北海道の地に行くことに悲壮感を感じて泣き、そして、再度転勤によって札幌を去るとき、その名残惜しさに再び泣くことを言う言葉です。

私自身、自ら札幌に引っ越すことを望んだので、「二度泣き」ではありませんが、札幌を去るとき「名残惜しい」という気持ちを、強く感じました。

私個人の主観かもしれませんが、札幌でご縁があった方々、お世話になった方々は、「人情」という言葉を思い出させてくれる人々でした。札幌を離れる前にご挨拶もでき、思い残すことはありません。

街の住みやすさといった部分だけでなく、札幌でしかできなかった経験や、そこで織りなす様々なご縁があったからこそ、なおさら札幌という街に、名残惜しさを感じるのかもしれません。

6年という短くも長い日々を過ごし、思うことはただ一つです。

「まるで夢のような日々だった」