近頃、武田鉄矢さんのバンド、海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』をYouTubeでよく聞いています。
哀愁のあるメロディーも心地良いですが、何より響くのは歌詞!
十四の頃の僕はいつも
冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら
遥かな旅路を夢見てた
思えば遠くへ来たもんだ
故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら海援隊『思えば遠くへきたもんだ』より
10代の頃、田舎町での暮らしに飽々して、外の広い世界への憧れを持つ。そして故郷を離れて新しい生活へ。
いろんな街で暮らしていくにつれ年をとって、故郷を離れて何年も経ってしまった。これから人生の行き先はどうなるのか。
そんな気持ちが込められている歌詞だと感じていますが、何というか、胸に響きます。それでこの詩についていろいろ調べていたら、この詩は中原中也の「頑是ない歌」を参考に書かれた詩のようです。
思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽車の湯気は今いづこ雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
しょう然として身をすくめ
月はその時空にいたそれから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつていた
あの頃の俺はいまいづこ今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時(いつ)までか
生きてゆくのであらうけど生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよさりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方ない
やりさえすればよいのだと思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽車の湯気は今いづこ中原中也「頑是ない歌」
中原中也と言えば、「汚れちまった悲しみに」とか、「山羊の歌」とか、立原道造(「浅き春に寄せて」は最高!)とともに、10代の頃は誰もがハマってしまう素晴らしい詩人の一人だと思うのですが、恥ずかしながら、「頑是ない歌」については全く知りませんでした。
10代の頃は「汚れちまった悲しみに」のどうしようもない感傷的な感覚の詩に心惹かれ、いろいろあると、ふと頭のなかで「汚れちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる」と口ずさんだものです。
20代になって中原中也の詩を味わう機会はずっと減ってしまいましたが、まさか30代になって再び中原中也の詩に心惹かれてしまうとは!
でもこの詩を読むと、いろいろ悲しいですね。
今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時(いつ)までか
生きてゆくのであらうけど
中也の辿った人生(小林秀雄と長谷川泰子の話とか、上野孝子との結婚とか、子の文也の話とか)を知る後世の人間としては、「この詩を書いていたときはどんな気持ちだったのだろうか?」と想像すると、何だか複雑な気持ちです。
でも、この部分の詩とかは、本当にいい。
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ
いろいろあるけど、やっぱりそういうもんなんですよね。
中也の詩を口ずさみ、自分の人生を振り返る。すると、本当に「思えば遠くへ来たもんだ」というような感慨がわいてきます。
そして、「これからどこまで行くのだろう?」と自問自答しても、なかなかその答えは浮かんでこない。だから楽しみでもあって、不安でもある。
人生はそんなものなのかもしれませんが、まぁ年々歳々、本当にいろいろありますからね。これからもきっと、自分が考えてもみなかったことがいろいろ起こるのかもしれない。
人生に感慨を持つのは早過ぎるのかもしれませんが、10代の頃から感じていた「人生とはなんぞや」という謎は、まだまだ解けそうにないようです。
だからこそ、中原中也の詩を読んで口ずさんで、「これからどうなるかは分からないけど、今日も進むか」とそれなりにやっていく。それでいいのかもしれませんね。