人を愛することは、こんなにも嬉しく悲しい。『ムーラン・ルージュ』を観る

ムーラン・ルージュ [DVD]

ある高級娼婦と純朴な青年の儚い恋の物語。

ニコール・キッドマン、ユアン・マクレガー主演『ムーラン・ルージュ』(2001年)の感想です。

この映画について

若き純朴な青年クリスチャン(ユアン・マクレガー)は、1900年、作家を目指しパリへやってきます。

そこでクリスチャンは、ひょんなことからムーラン・ルージュと呼ばれる娼館の高級娼婦、サティーン(ニコール・キッドマン)と出会い、愛の物語を紡いでいくことになりますが・・・。

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感想など

ミュージカル調のポップな映画のはずですが、後味は正直今ひとつ。映画を観終わった後、状況によっては軽く憂鬱な気持ちになれる映画です。

この映画のメインの話は貧乏作家クリスチャンと高級娼婦のサティーンの愛の物語だと思いますが、この映画は、恋愛の2つの側面について、ポップ、しかしディープに表現している映画だと思います。

人を愛することというのは、喜びや充足感などのポジティブな感情だけではなく、猜疑心や嫉妬、不安や疑念などのネガティブで苦しい感情がセットになってやってくるもの。

恋をすること、愛することの二面性を上手く表現しているのが、サティーンのパトロンである公爵と肌を重ねることになるシーン。

クリスチャンは、自分を守るため、公爵と肌を重ねることになったサティーンを思い、激しい嫉妬に苦しむことに。嫉妬に苦しむクリスチャンに、劇団員の仲間であり、ナルコレプシーのアルゼンチン人がこう語りかけます。

春を売る女に決して恋をしてはいけない。苦しむことになるだけだ。

男がある娼婦と出会い、恋をする。まず欲望が。次に情熱が。そして疑念が生まれ、嫉妬、怒り、裏切りが芽生えた。

金で売る愛に信頼はない、信頼がなければ愛はない。嫉妬、そう、嫉妬の炎が男の心を焼く。

そこからポリスの「ロクサーヌ」(娼婦のことを歌った歌)のミュージカルシーンへ続いていくわけですが、何度観ても、このシーンは鳥肌が立つほど素晴らしいです。

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『ムーラン・ルージュ』を初めてみたのは10代、東京で一人暮らしをしていた時ですが、今、あらためてこの映画を観直してみると、深いものを感じます。

「純粋な青年が高級娼婦に恋をして相思相愛の仲になる」という、現実の世界ではあまりない設定ですが、恋愛におけるネガティブな面(苦しみや嫉妬)をこれほど見事に表現した映画はそうお目にかかることができません。

恋した女の立場(男にお金で体を許す娼婦)など関係なく、純粋に一人の女としてサティーンを想うクリスチャン。それゆえに、クリスチャンは他の男の「モノ」になるサティーンのことを想像して、嫉妬の炎に苦しむことになります。

物語が進んでいくなか、関係が深まっていくクリスチャンとサティーンですが、クリスチャンとサティーンの関係が、サティーンを「モノ」にしたいと思う、公爵の嫉妬心を激しく刺激することに。

最初はただの高級娼婦を「モノ」にしようとする、遊び程度の気持ちであっただろう公爵。

それが、独占欲を刺激され、だんだんとサティーンに対して公爵が執着心を刺激されて「本気度」を感じるようになっていく演出は映画を観ていてとても興味深いところです。

「男は独占欲を刺激されることで、嫉妬が高まり、女を手に入れたいという願望が強くなる」という話を聞いたことがありますが、この映画の公爵の行動と心情の変化はまさにセオリー通り。

本当にお金で愛を買えるのか?

それにしても、この文章を書いていてふと思ったのは、お金でサティーンを買う公爵の悲しさです。

いくら、公爵が莫大な富と権力を持っていようと、たった一人の女の「心」すら手に入れることができない。たとえ、お金の力で一時的にサティーンの「体」を買うことができたとしても、決してサティーンの「心」を買うことはできない。

サティーンの心は、本当にクリスチャンのところにあって、目の前に差し出された美女の体は、美しいだけの、ただの肉の塊のようなもの。そこにサティーンの実体はありません。

サティーンの体をお金や権力で買うことができたとしても、決して公爵はサティーンに心から愛されることはない。ここに、公爵の寂しさというか、虚しさを感じてしまいます。

まともな神経をしていたら、お金で女の体を買うことの虚しさや無意味さをごまかすことはできません。だからこそ、公爵はサティーンを自分のモノにすることにやっきになってしまいます。

もしかしたら、最終的に公爵が欲しがったのは、サティーンの体より、本当は心だったのかもしれません。)

「この世の最高の幸せ、それは誰かを愛し、その人から愛されること」という最後のセリフ通り、愛というのは一方通行ではなく、相互通行的なもの。

一方が無理にどうこうしようと、どれだけ相手を想っても、それを受け入れる人がいなければ、体のつながりを簡単に持つことができたとしても、心のつながりは持つことはできない。

しかし、貧乏作家のクリスチャンがサティーンを救えなかったように、現実の世界では愛はお金がないといとも失われてしまう側面もあります。だからこそ、この映画の結末は、非常に後味が悪いものなのかもしれません。

うーん、人の情、つながりは難しい。

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