6月の青空が広がる好天日、以前から興味を持っていた日本三大山城の一つ、岩村城へ。
岩村城は織田信長のおば、おつやの方で知られる城。彼女の悲運に満ちた運命と日本最高峰に位置する堅牢な城跡が私たちの心をとらえます。
岩村城
まずは東名から中央道へ向かい、恵那ICへ。屏風山の休憩所では吉野家などの飲食チェーンが入っています。
恵那ICを降りたら国道を進みおよそ20分ほどで岩村城下町へ。城の麓にある歴史資料館が、駐車場となっています。
歴史資料館に車を駐車し資料館を見学。城へは20分ほど、山道を登っていくことになります。
こちらの登城口より本丸を目指し、出発。
道なりに映える花々がとても鮮やかです。
なお、登城口の麓には下田歌子の勉学所があります。下田歌子は明治期の教育者で、実践女子学園を創立した女子教育の先駆者として知られています。
道を進むと道はますます急に。正直、山道を完全になめていた感があり、運動不足の体にはとてもこたえます。
ところどころに石垣がそびえています。
岩村城本丸への道はとても急で、上へ目指すうちに体に強い重力がかかっていくのを感じます。
織田信長が長篠合戦後に武田氏より岩村城奪還を目指し、息子の織田信忠に3万の兵を送り城攻めをしたにも関わらず半年間も落城しなかったのは、そもそもこのような城を力攻めすること自体が間違いなのでしょう。
本丸に近づくと城内には神社も設置されています。13世紀に岩村城ができたときよりの由来だそうです。
登城口より本丸を目指しおよそ20分。標高800メートルの本丸入口に到着。
そこには石垣以外に当時の様子を偲ぶ建物はありませんが、雄大な景色が広がっています。
麓に広がる城下町を一望することができます。
岩村城は特に織田信長にとって歴史的に因縁が深い場所のようで、1582年の甲州征伐のさい、信長は岩村城滞在時に勝頼討伐の方を知ったそうです。権勢を極めたそのわずか3ヶ月後に本能寺の変が起こることを、本人は予見していたのでしょうか。
城下町
岩村城の麓には江戸時代から続く町並みが残されています。
細い路地のなか、今も地元の人々が生活を営んでいます。
こちらは藩主を支えた豪商、木村氏の邸宅。
内部は一般公開されており、当時の生活をしのぶことができます。
年々、なぜかこういった昔ながらの建物に強く惹かれている自分に気づきます。
力強い文字。繊細で華やかな花の絵。「文化」の匂いがそこかしこに漂っています。
縁側からは離れと整備された庭園が見えます。
離れは「今も普通に暮らせますね」といった趣。
ここに椅子かなにかを置いて、時間を忘れて読書ができれば、最高の時間になるでしょう。
歩いていて気づきましたが、ところどころに水の通り道が作られています。
岩村城の排水施設は1575年、河尻秀隆(織田信長の家臣)が入城したさいに整備されたそうで、今でも町のいたるところに、水が流れています。
こちらは別の旧家。
映画の撮影場所にもなったそうで、まさにここで映画のワンシーンが撮影されたという話です。
こうして写真を見直してみると、風情を感じる町並みです。
まさに「在りし時代」に想いを馳せてしまう場所です。
最後に
岩村城は「山城の中の山城」、そして秋山虎繁とおつやの方の悲運の城ということでずっと興味を持っていた城でした。
登城口から本丸までの登山は足腰に甚大な疲労をもたらしましたが、その甲斐は十分にありました。城の麓に広がる城下町もまさに江戸ノスタルジー。現代の文明世界とは違う時間、空気が漂っています。
5時間ほどの滞在でしたが、改めて江戸とはどんな時代だったのか?そして当時の人々がどのような日々を送っていたのか?何を思い、どのように生きたのか?強く興味を惹かれます。