2022年の終わりを迎えて

空を見つめる男

明日の大晦日にて、2022年も終了。

振り返れば、人生の秋を迎え、木々が葉を枯らしていくのを眺め、そして新しい芽が小さく咲き始めたのを見たような1年でした。

秋になれば木々が春に新しい葉を生やすために、古い葉をからす。それは必然的な自然のサイクルであることを、改めて実感しています。

はじめに

2020年の段階で、自分の今までの人生を方向づけてきたサイクルがまもなく終わりを迎えることを実感。

2021年より少しずつ勢いを意図して落とし、そして2022年は完全に(主観的な)動きを停止した状態に。

静かに自分を抑え、枯れていく木々の葉を眺めつつ、そこから新しく生まれた余白に、小さな、そして今後自分が取り組むべき新しい芽が咲いていることを実感しています。

「あえて」自分で決めない

2022年は何かにつけ「自分の(主観や意図を持った)判断」を避けるよう、強く意識してきました。

その上で物事から一歩引いた立場で、静かに過ごすことを心かけてきましたが、その結果改めて、人生に流れる一定のサイクルについての知見を学ぶ機会が得られたことはとても幸福なことでした。

目の前に大きな風が吹いている。そこで私たちは、あえて風に向かって進むだすこともできますが、風に流されたり、風がおさまるのをじっと待つというチョイスがあります。

自分自身の長期的なサイクルを俯瞰し、現在地を自覚した上で、その都度その都度、適切なチョイスを選ぶ。「力を温存する」ことは、とても大切な選択であることを、2022年は学びました。

新陳代謝を受け入れる

ワンシーズンを通じて育て、収穫した稲が枯れる。「枯れた」という事実を悲劇と捉えることはできますが、それが3年後、5年後、別の意味を成すということがしばし、起こります。

身軽になっておくことによって、新しいものを取り入れるための余白を増やすタイミングがまさに、今だと感じています。そのため2023年は、再度様々な整理や物事の縮小を行う予定です。

不思議なことですが、自分にとってブレないことは明確ですが、ブレることはブレることがわかります。潔く手放すこともまた、勇気なのでしょう。

最後に

2022年は名目ともに、自分がしてきたことの一つのサイクルの終わりが完全に見えた1年となりました。

自分がしてきたこと。それによって実現してきたこと。それらが役割を終え、次へ進むために、手放すものと残すものを選別し、次のサイクルへ向け、静かに時を待つ。そのタイミングに差し掛かったことを実感する、1年となりました。

それはまさに「新陳代謝」で、2023年も2022年と同じ流れは続きます。起こることはすべて必要な勉強だと考え、静かに、そして着実に、2023年。そして2ヶ月あまりを過ごしたのち、新しいサイクルへと進み出します。