人生で幸福よりも大切なこと。『不幸論 』の読書感想

不幸論 (PHP文庫)

世の中には、幸せよりも不幸が溢れているけれど。

中島義道著『不幸論』(PHP文庫)の読書感想です。

この本について

「あらゆる人生は不幸である」と考える著者の異色の幸福論。

幸せでありたいと願うのは夜空の星々を素手でつかもうとすることで、幸福であろうとすることそれ自体が、生きることの本質から目を背けたことというのが本書の基本的な考え。

「幸せになりたい、どうすればいいか?」という人は、決して読まない方がいい刺激的な(逆説的な)幸福論となっています。

以下、本書の読書メモです。

幸福でありたい症候群(P4)

目の前の不幸、失敗、挫折から目を背け、物事の良いところだけを見ようとする態度、何があっても本当は幸福なんだと思い込もうとする態度を、幸福でありたい症候群という。

幸福でありたい症候群に陥った人は、幸福を求めることで、目の前の真実から目を背けようとする。嘘を見ながら、「これでいいのだ」と無理やり自分を自己催眠にかけている。

世の中の現実(P13)

人は生まれながらにして不平等。

精神的、肉体的、資質、能力、あらゆる面で不平等であり、個人が待ち受けている運命も、徹底的に不平等。

生きている間、人々は不平等な条件によって人生が影響され、運命に翻弄され、やがて死んでいく。

幸福の構造(P30)

幸福という考え方を成り立たせる4つの柱。

1・自分の欲望がかなえられていること。

2・その欲望が世間一般的な信念にかなっていること。

3・その欲望が世間から承認されていること。

4・その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れないこと。

自分の能力を発揮できて幸福な人(P73)

自分の能力を思う存分発揮できる仕事をして、それによって生きがい、もしくは喜びを感じてる者は、そうでない者よりも幸福。

ただし彼らは、自分の能力を発揮できず、日々苦しみながら仕事をしている者を、不幸にして傷つけている。

「俺は好きなことを仕事にできて幸せだ!」という場合、そのことに鈍感になってはいけない。

幸福=思考停止(P114)

幸福とは錯覚状態。感受性が麻痺し、視野が狭くなること。それによって人は「俺は幸福なんだ」と思い込むことができる。

世の中には、この錯覚に陥っている人と、そうでない人、陥りたくても陥ることができない人がいる。それだけのこと。

人生は不平等(P144)

人生、ある者はとんとん拍子に物事が上手くいき、美味しい思いができる一方、ある者は不幸続きの人生を送る。

生まれつきの条件(例えば容姿)など、自分の意志ではどうしようもない要素によって、人は人生で翻弄されてしまう。

不平等という世の中の前提や、自分がどんな条件を与えられているのかを考えないと、人生で進む方向が見えてこない。

人生の矛盾(P185)

人に媚を売り好かれようとすると嫌われる。人からどう思われてもいいやと思うと人から好かれる。

イヤなことは一切しない。したいことだけする。自分本位にこだわると、人生は上手くいく。人生はこんが具合、矛盾に満ちている。

感想など

「幸せ?そんなものは錯覚だよ、人生の現実はこんなに不平等で矛盾だらけなんだよ」

清々しいまでにネガティブで、読後はある種の心地よさを感じる異色の本。

「世の中の現実は不幸である」という逆説的な視点から幸福を説くのが本書のスタンスですが、正直、書かれていることは「そうだよなぁ」と納得できることばかり。

「完全に幸福になるうるのは白痴にのみ与えられた特権である」とある文豪は言いましたが、これはまさしく至言。

しっかり両目を開けて聞き耳を立てると、現実問題、世の中はいい事だけではないことに気がつきます。善人が不幸になり悪人が栄える、「おかしい」ことの連続であることに気がつきます。

だからこそ大切なのは、本書に書かれている通り、まずは現実の世界がどんな場所であるのかをしっかり認め、そこから出発することが大切なのだと思います。

自分の限界、可能性、世の中の現実、それらと折り合いをつけた上でどうするのか。本書のような考え方を知っておくことは、長い人生、きっと何かの役に立つと思います。

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