狸なんてとんでもない!
小和田哲男著『徳川家康大全』(KK ロングセラーズ)の読書感想です。
この本について
維新前の江戸時代は神、維新後は狸、いろんな評価のある江戸幕府創設者、徳川家康の実像に迫る本。
家康はどんな生まれをして、どんな生き様を送り、なぜ戦国の最終覇者になりえたのか、「家康はこういう男なのか、だから天下人になったのか」と分かりやすく学べる内容になっています。
以下、本書の読書メモです。
家康=狸のイメージの理由(P3)
家康=狸、腹黒いオヤジというイメージが流布しているが、それは明治維新後から。
薩長の新政府軍は「俺達が倒した江戸幕府は悪い連中だったんだ」と自らの正当性を主張するため、江戸幕府を作った家康は非難の対象となってしまった。結果、家康は神から狸に引きずりおろされてしまった。
家康の複雑な出自(P34)
家康の生まれは複雑。祖父の松平清康は、三河でガンガン勢力を伸ばしたやり手の武将だったが、家臣の謀反で、わずか20代半ばで死亡。
清康の後を継いだ広忠は弱気で、松平家は今川家の従属になってしまう。そこで家康は人質に送られるものの、織田家に拉致されたり波乱万丈。
結局は今川に送られ、人質として過ごすものの、幼少期の運命は過酷。
家康最初の試練(P54)
桶狭間の戦いで今川義元が死亡、それによって家康は三河で独立をするものの、その家康に最初の危機が訪れる。それが三河一向一揆。
独立したばかりなのに、坊主連中が一揆を起こし、家康の独立に水を差す。しかし、家康はそこで徹底的に戦い、一揆勢を倒す。
この危機を乗り越えたことによって、家康家臣団は団結し、家康反対派もぶちのめし、家康の戦国武将として羽ばたく契機となる。
家康の人生で唯一の惨敗(P65)
家康の人生のピンチその2、三方ヶ原の戦い。
甲斐国の武田信玄が上洛、途中家康軍をぶちのめすため、家康がこもる浜松城をあえてスルー。
「家康は若い、城をスルーすればなめられたと思い城から飛び出してくる。そこを叩く」という作戦にまんまとハマってしまい、討ち死に寸前まで、とことん叩きのめされてしまう。
家康はこのときの敗戦の経験、学びを生涯忘れず、関ヶ原の戦いなどに生かす。
家康のピンチその3(P122)
天下統一するかに思われた信長がまさかの本能寺の変で死亡。家康は明智に追われることを恐れ伊賀越を敢行。わずかな供回りで伊賀の山を越え、なんとか危機を乗り越える。
家康は短気だった?(P141)
家康といえば、「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」と言われているとおり、根気強い男のように思われるが、実は短気な男だった可能性が高い。
人質暮らしや三方ヶ原の戦いでの惨敗、息子を信長の命令で殺すハメになったことなど、いろんな苦難、苦労が家康を忍耐強くさせた。
家康の決断力(P160)
運命の転機は突如やってきて、そのときどう対応するかが、その後の運命を変える。
家康は判断力に優れており、転機がやってきたとき、決断が必要なときに、最善の決断ができたからこそ、戦国の覇者となることができた。
例)
・桶狭間の戦いの後の決断。義元死亡で独立を決意、織田家と組むことを決断(清洲同盟)。
・小牧長久手の戦いの後の秀吉配下になるという決断。勝てないと分かったらムダな戦いはしない。
・関ヶ原。待ちに待ち、自らが天下を取るために動き出す。
感想など
家康=狸おやじというイメージがあり、戦国の三英傑のなかではどちらかというと人気がないように思える家康ですが、個人的には信長や秀吉より家康の方が好き。
ずっと我慢し、チャンスをうかがい、最後の最後には野心を実現する。そういった粘り強いイメージが家康にはあって、そこが魅力のように感じています。
「人生いろんなことがあるけれど、決して焦ってはいけない。最後の最後で勝てばいい。まぁじっくりコツコツやっていこう」
家康の伝記や本を読むと、そんなことを感じますが、なぜ戦国時代は信長でもなく秀吉でもなく、家康によって幕が閉じられたのか、この本を読むと、その理由が分かるかも。