『人格障害の時代 』の読書感想 – 社会のあり方と人々の「オレオレ」化を考える

人格障害の時代 (平凡社新書)

自己愛の充足を目指す社会の問題とは。

岡田尊司著『人格障害の時代 』(平凡社新書)の読書感想です。

この本について

人間同士のトラブル、児童虐待に家庭内暴力、異常犯罪、不可解で生きづらい世の中を「人格障害」というキーワードで読み解く本。

なぜ人と人との関わりが難しくなっているのか、世の中が殺伐として息苦しくなっているのか、この本を読めば、その理由が分かるかも。

以下、本書の読書メモです。

社会で起こっていること(P9)

学校や職場、街中、毎日の生活の中、気持よく暮らすのがどんどん難しい時代になっている。

自分勝手、人を踏み台のように扱う人間が跋扈、良心的に生きている人たちが生きづらくなり、普通に生きるのが難しくなっている。

なぜそのようなことが起こっているのか、それは個人の問題だけでなく、社会全体に根ざした問題でもある。

個人の問題は社会の問題でもあり、社会の闇、腐敗した部分が、生きづらさの原因に。

その社会の闇を読み解く鍵が、「人格(パーソナリティ)障害」。個人の人格は社会に影響を受け、社会は個々人の集合体。

人格障害について考えることは、社会と個人の問題を考えることにつながる。

子どもがおかしいのではない(P17)

凶悪な少年犯罪、家庭内暴力などの子どもの問題行動が起こるたび、「最近の子どもの変化」について云々されることが多い。

しかし、子どもは大人や社会の姿を写す鏡であるということを忘れてはいけない。

今起こっているのは、子どもがおかしいというより、子どもを育てている大人がおかしい。大人たちがおかしいからこそ、その子どももおかしい行動をとっている。

子どもや若者を非難する前に、大人は、自分たちのあり方、社会のあり方について、考える必要がある。

人格障害の共通点(P32)

人格障害を抱える人間には、症状や問題は違えど、

1・自分への執着が強い。

2・傷つきやすく、過剰に反応する。

3・オールオアナッシング、0点か100点かのような極端な考え方をする。

など、共通点がある。

妄想性人格障害について(P53)

人を疑い信じられない妄想性人格障害。

人を信じられない根本にあるのは、裏切られること、自分が脅かされることへの過剰防衛がある。

基本的な対人認識が「他人は油断すると人に危害を与える存在」であるため、迫害妄想や被害妄想を抱きやすい。

人の些細な行動について過剰に反応、妄想を持ってしまう。基本的な安全感覚、安心感が欠如しているため、このような思考になってしまう。

自己愛性人格障害の弱み(P74)

自己愛性人格障害は、過剰ともいえる自己愛によって自分を守り、自分の力を過信してる。

それが自信ある行動へとつながるため、事業主や経営者として成功したり、社会的な成功をおさめる力になる。

上昇思考が彼らの原動力であり、調子が上向きのときが、ガンガン動ける。この意味で、自己愛性人格障害が成功のきっかけになることも。

一方で、スランプや停滞、挫折に弱く、下り坂が続くと、一気に気弱になってしまうのがこのタイプの弱さ。

中年以降、体力減少などをきっかけに、行動の源泉だった自分への誇大妄想も、力を失っていくため、精神的な危機を迎えることも。

人間関係を避ける人々(P101)

引きこもり、結婚しない若者、夫婦でありながら適切な関係を持てない夫婦、その背景には回避性の問題がある。

彼らは人間関係を避け、安全な自分の世界へ逃げ込む傾向があるが、それは不適切な養育環境による健全な自己愛、自己重要感が欠如が原因。

人格障害の背景と影響(P130)

人格障害は精神的な幼さ、ストレスへの耐性に問題を抱えているため、社会生活、育児や子育て、様々な場面で問題を抱えやすい。

根本には自己愛の傷つきがあるため、負担を感じやすく、環境への適応性や耐性に問題を抱えてしまう。

特に、人格障害者の育児には様々な問題がともなう。

我が子のの行動すら自己を脅かすストレスになり、強い負担を感じてしまうため、子育て自体が困難に。一線を超えると、虐待やネグレクトに発展することも。

人格障害と資本主義(P183)

人は社会のあり方と無関係ではいられない

社会の競争主義の影響は、当然社会で生きる個人に、様々な影響を与えている。

私たちが生きている資本主義社会は、耐えず魅力的な商品が登場、人々が物を買うことによって成り立っている。

資本主義社会にあるのは欲望、自己愛の充足であり、人々が自己愛、自己実現を目指せば目指すほど、資本主義の世界で、人々の欲を満たすための様々なビジネスが登場する。

人々の自己愛と欲望の充足を餌に、資本主義は発展していく。

学校で求められるもの(P195)

学校は集団生活や社会生活を送る上で必要なスキルを学ぶ場所。

じっと座っていること、人が話をしているときは静かに聞くこと、順番を守ること、そのような、当たり前のルール、スキルを学ぶ場所。

仕事が長く続きするか、人と上手くやれるかは、この当たり前のスキルをきちんと習得できたかにかかっている。この基本的なスキルさえ身に着けていれば、学習活動もできるようになる。

感想など

「幼稚園の子どもがうるさいとクレーム→幼稚園を防音室仕様に」

「盆踊りの音がうるさいとクレーム→無音の盆踊り大会に」

「年金が少なくて生活できないと不満を騒ぎ立て新幹線内で焼身自殺→多くの人の迷惑に」

いつからか、こんな「なんでそんなことが?」と首をかしげてしまうニュースが増えた気がします。

競争が進んで、皆自分のことで精一杯、そんななか、「自分さえ良ければいい」という人が増えていくのは、ある意味自然なことなのかもしれません。

本書の、「子どもがおかしくなったのではなく、大人がおかしくなった」という指摘も納得。

街に出てみれば、電車やバス、エスカレーター、デパートの売り場、車の運転、至る所で、大人のマナー、モラルに疑問を感じる場面に直面します。

子どもは親をモデリングします。子どもを育てる親が、「オレオレオレ、自分さえ良ければいい」であるなら、子どもが全うに育つのを期待するのも無理な話。

でも、なぜ大人が自己中心的になってしまうか?

そこには、人格や品性という個人の問題は置いておいて、自己中心的にならないと生きていない部分があるのも現実だと思います。

就職で仕事を得るためにも、嘘八百でもいいので面接で自己PR、他の人を蹴落とさなければ就職できません(HavingよりBeing、性格や人柄の良さは評価されているのでしょうか)。

仕事を始めてからも、クビにならないために、自動的に競争に参加(のんびりしているとリストラ対象になってしまいます)、競争は休まることなく、更に加速しています。

こんな今の世の中、普通に生きていくことが難しくて、それでいろいろ難しくなっているのが現実かもしれません。

人として品性とか道徳、公共心を啓蒙することも大切なのかもしれませんが、厳しい社会状況の中、どう生きていくのかは切実な話。

だからこそ、本書の内容を考えれば考えるほど、「難しいなぁ」とつぶやいてしまいます。

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