『月と6ペンス』を再読した感想 – ある日男は全てを捨てた、なぜなら

月と六ペンス (新潮文庫)

ふと思いたち、モームの『月と6ペンス』(新潮社、金原端人訳)を再読。

「飽きたら読むのをやめよう」と気楽な気持ちで読み始めたのですが、これが最高に面白い!

40歳、株取引の仲介人として、経済的にもそこそこ成功、立派な家と妻を持つストリックランド。

しかし突然全てを捨て失踪、一人パリへ。「絵を描きたい、俺は描かかなければならない」と、みずぼらしいホテルで絵を書く生活へ。

彼を助けようとする友人の妻と不倫して友人の家庭を崩壊させたり、芸術の名のもと、非道な振る舞いと天才と芸術の在り方を考えさせられる内容で、始めて読んだときは、「ある芸術家の風変わりな一生」という感じの印象でした。

でも今回じっくり読み直してみると、そこには、物語ではない、何か人間の普遍的な何か、姿、在り方、実にいろんなことを考えさせられてしまう、不思議な読後を味わいました。

小説を読み返すと、なぜ、順風満帆、すべて上手くいっているはずの男が突然全てを投げ出して絵描きを目指したのか、まずそこで小説を読む手が止まります。

そして、男の突然の変化に振り回される周囲の反応、小説の語り手である「わたし」の独特の人間観察眼に引きこまれていきます。

・夫のストリックランドが失踪、小説の語り手である「わたし」が、夫の突然の行動にうろたえ取り乱すストリックランド夫人を見て感想を述べる場面で

「夫を取り戻したいのは愛しているからなのか、人の陰口が怖いからなのか。わたしは、こんなふうに想像して複雑な気持ちになった。夫人の張り裂けた胸の中で、裏切られた愛の苦しみと傷ついた虚栄心の痛みとが混ざり合っているのかもしれない、と。私はまだ、人間がどれだけ矛盾に満ちた生き物なのか分かっていなかったのだ。誠実な人間にも偽善的な面は多くあり、上品な人間にも卑しい面は多くあり、また、罪深い人間にも多くの良心がある。」(P62)

・ストリックランドが絵描きに転向して「わたし」がつぶやく言葉

「人はその人生において、様々な方法で様々な方向転換をする。その変動は岩を砕く激流のように訪れることもあれば、石を穿つ雨だれのようにゆるやかに訪れることもある。ストリックランドは狂信者のように一途で、使徒のように残酷だった。」(P86)

・ストリックランドの妻が夫と離婚後、経済的に独立し成功、気持ちの余裕が持てたところを見た「わたし」の言葉から

苦労は人を高潔にするというが、それは嘘だ。幸福は時によって人を立派にすることもあるが、おおかたの場合、労苦は卑劣で意地悪な人間を作り出すだけだ。」(P106)

・ストリックランドが友人の画家の妻に好かれ恋仲になって

「恋をすると人は夢中になり、われを忘れる。どれだけ聡明な者も、頭ではわかっていても、自分の恋がいつかは終わるということが信じられない。本人でさえ幻想だとわかっているものに、恋は形を与えるのだ。幻想以外の何物でもないとわかっていながら、人は現実以上にそれを愛してしまう。恋は少しだけ人を大きくし、同時に、人を少しだけ小さくする。恋をすると自分を見失う。恋する人間は個性を失い、目的を達成するための道具と化す。その目的は、自我とは無関係だ。人を愛してしまえば、どうしても感傷的になる。」(P193)

小説を読み進めていくと、このような具合、小説に登場する言葉が、妙に心に引っかかるというか、心をとらえて離しません。

ストリックランドが、最後の最後、「これが描きたかった、満足だ」という絵を書き残して死んだように、人は得てきたもの全てを捨てても、本当に求めるものを追い求めていけば、人生いつかは、満足できるのか、生きる目的とは何なのか、名声なのか、魂の希求なのか?

いろんな疑念が頭のなかを通り抜けていきます。

文章は淡々としていて、人物描写もどちらかというと距離感を感じるような、「冷徹さ」を感じる文章なのですが、同時に熱を感じる、不思議な小説です。

小説という物語から人生訓を得ようとするのは、ある作家が言ったように、不適切なことかもしれませんが、この『月と6ペンス』は、空想の物語でありながら、なぜかリアルに心に響いてくる何かがあります。

ストリックランドという内側から湧き出る欲求のため全てを捨てた男、ストリックランドの画家としての才能を知り彼を支えながら彼に全てを奪われた友人のストルーヴェ、ストリックランドを見つめる「わたし」。

うーん、なんというか、話の登場人物に、妙にリアリティがあるのは気のせいでしょうか。だから、小説を読んでいても、映画を観るようなリアリティがあって、話に夢中になってしまいます。

小説は面白い、そのことを思い出し、久々、時間を忘れて小説にハマれた作品でした。

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