『大坂の陣 – 豊臣氏を滅ぼしたのは誰か』の読書感想 – 豊臣滅亡の原因は家康ではない!?

大坂の陣---豊臣氏を滅ぼしたのは誰か (河出文庫)

徳川家康は豊臣家を最後まで守ろうとした!?

相川司著『大坂の陣 – 豊臣氏を滅ぼしたのは誰か』(河出文庫)の読書感想です。

この本について

1614~1615年にかけて行われた徳川氏による豊臣征伐、大阪の陣に焦点を当てた本。

一般的に、大坂の陣というと、

「高齢を迎えた徳川家康が、江戸幕府の安定のため、豊臣秀頼の存在が目障りになり、なんとしも秀頼を抹殺したいがために、豊臣側にいちゃもん(鐘の事件)をつけ開戦、豊臣を滅ぼした。」というのが通説。

本書では、その説を否定、「家康は秀頼を保護する立場で、最後の最後まで秀頼を生かそうとした。」という、家康腹黒説を否定する考察が中心になっています。

豊臣を滅ぼした大阪の陣開戦の原因は、豊臣を利用して自信の野心を実現しようとする奸臣たち(織田家の血筋の某人間など)が原因で冬の陣が開戦。

夏の陣で大坂城落城寸前、家康は秀頼と淀殿を救おうとしましたが、豊臣が目障りな徳川方の家臣たちが秀頼と淀君らを死へ追い詰め自害させた、というのが本書の主張です。

○ポイント

徳川家のために目障りな豊臣を滅ぼすため、家康は大坂を攻め、秀頼を滅ぼした

→家康は、秀吉との約束を律儀に守り、関ヶ原の戦いで権力を握ったあとも、秀頼を保護。最後の最後まで秀頼を守ろうとした。

しかし、大坂城で秀頼の周りにはびこる奸臣らが野心を抱き、秀頼を担ぎあげることで、佞臣らは自らの野望を実現しようとした。

感想など

少しネタバレになります。

家康はもともと秀頼保護派。しかし、秀頼の周りの悪い家臣が、秀頼を利用し、大坂の陣の引き起こす原因になった。その首謀者として登場するのが、東京の有楽町の名前のもとになった、織田有楽斎です。

彼は織田家の人間であり、本書によると、彼は豊臣を利用することで、織田家の復権を狙います。有楽斎は、息子の頼長、淀君の信頼厚い大野治長らと共謀し、淀君に挙兵を進言。大坂の冬の陣が起こる前、牢人を集め、密かに準備。

家康も大坂の挙兵に気づき、大坂冬の陣開戦となるわけですが、家康は豊臣を滅ぼすための戦いではなく、秀頼の周りの奸臣立ちを排除するために戦争を開始したというのが本書の視点。

大坂冬の陣の開戦は、大坂の奸臣や武装した牢人を排除し、秀頼を争いから遠ざけること。そして、冬の人の講和条件である大坂城の堀の埋め立ても、秀頼を滅ぼすためではなく、悪い輩が寄り付かないようにするため。

結果的に、徳川方(2代将軍秀忠や、家老たち、豊臣嫌いの伊達家など)にも豊臣を是が非でも消したい勢力がいて、最終的には秀頼らは悲劇を迎えてしまうわけですが、豊臣滅亡の通説である家康腹黒説とは全く違う視点で大坂の陣を考えることができます。

大阪城を観光したのですが、今の大阪城の天守閣下に、豊臣時代の天守閣石垣が発見されたそうです。「豊臣の存在をこの世から完全に消したい!」という強い信念は、家康のものではなく、秀忠のものだったのかもしれません。)

少し家康に善人補正がかかりすぎな気もしますが、根拠も丁寧に説明されているので、説得力があります。家康好きの自分としては、家康=腹黒いたぬきというイメージが払拭するには十分な内容。

「大坂の陣もこんな考え方があるんだなぁ」と面白く読了しました。

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