【全巻読破】『ローマ人の物語』29~43巻まで読んだ感想(帝国の滅亡まで)

ローマを一望する

教養と物事の大局観を養う名著、『ローマ人の物語』29〜巻まで読んだ感想です。ツイッターでつぶやいていた内容をもとに、備考メモとして残しています。

14〜28巻までの感想はこちら

『ローマ人の物語29 終わりの始まり[上]』

ローマの建国から成長、発展と危機、そして繁栄を経たローマがいよいよ「終わりの始まり」を迎える転換点に到着。それが『自省録』で知られるあの有名な「哲人皇帝」マルクス・アウレリウスの治世だった、という切り口に驚く。

トライアヌスの外征により広がった帝国の問題点を冷徹に見抜いていたのがハドリアヌス。己の肉体を酷使し帝国内を循環。強い問題意識を持ち予防策を打っていたおかげでローマは平和と繁栄を謳歌することができた。

しかしその問題意識は後続の皇帝には引き継がれず、という指摘を興味深く読む。勢いが極まったときこそ衰退のサイン、っていうのは本当に興味深い現象だと思う。

どれだけ人智を尽くそうとも永遠に繁栄し続けるものはなく、成長の限界を迎え「絶頂」に到達した瞬間を契機に衰退が始まる。このシリーズを読んでいると、物事には大きな流れがあることに気づかされる。

『ローマ人の物語30 終わりの始まり[中]』

名君マルクス・アウレリウスの治世とその死、彼の息子で次の皇帝となった暴君コモドゥスの治世を描く。本書を読み終えたとき、「血は同じでも、生き方まで似るとは限らない」(P215)という言葉が深く印象に残る。

まず身近な人に裏切られ人間不信に。周囲は自分にごまをする「佞臣」ばかりになり忠臣は遠ざけられる。そして皇帝は「裸の王様」になり、というのが暴君が生まれるお約束のパターン。

コモドゥスの治世を読むと、「職業には貴賤はないが、生き方には貴賤がある」(P202)という言葉が印象深い。そして、コモドゥスの話を読むと偉大な父を持つ子の複雑な心情を想像してしまう。

父親は賢帝としてローマ国民に愛される偉大な存在。ところが、皇帝になったコモドゥスは「マッチョ」という、父親とは真逆のイメージで自分をPRし、父親を否定する。そんなコモドゥスの姿には、強い歪みを感じてしまう。

『ローマ人の物語31 終わりの始まり[下]』

コモドゥスの暗殺によって皇帝となったペルティナクスの短い治世と、そのあとを「実力」で手に入れた「軍人皇帝」セヴェルスの治世を描く。セヴェルス時代よりローマは軍事政権化。いよいよ帝国の没落が始まる。

セヴェルスの皇帝就任によって実力主義の時代が到来。「実力主義にはプラス面も多いが〜略〜結局は実力でカタをつけるしかない解決法」(P42)であるがゆえに力こそ正義。強い者たちが争うことによって秩序が乱れ社会全体が混乱してしまうというマイナス面は、本当に考えさせられる。

実力主義の社会は力こそ正義。人々が争い競いあう「弱肉強食」の殺伐とした世の中になる。一方、「生まれた家」で運命が決まる世襲社会は「階級」が固定化され、一部の既得権益層が生まれる。彼らが腐れば「組織は頭から腐る」が現実化する。

理想的な社会とはなんぞや?

『ローマ人の物語32 迷走する帝国[上]』

「興隆の時代はどの民族でも似ているが、衰退期となると、それぞれが違う様相を呈してくる」(「読者に」より)という印象的な出だしから始まる、帝国の落日の始まりが語られる本。「終わりの始まり」を経てローマはいよいよ、衰退期へ。

短い間に何人もの皇帝が登場しては反乱や陰謀で強制退場させられた「混迷」の時代は以前にもあった。にも関わらず、なぜローマは復活せず衰退への道をたどったのか?

その原因の一つが、ローマがローマでありえた根幹部を変えてしまったカラカラの「アントニヌス勅令」。「ローマ帝国内に住む自由な身の人々全員に、もれなくローマ市民権を与えると定めた法律」(P28)によって、「ローマ市民」と「属州民」というローマ帝国の特色が消えた。

理念と現実は別。国が国として存在している「根幹」を失った瞬間その国はまさに亡国へと向かうという歴史の教訓を学ぶ。

『ローマ人の物語33 迷走する帝国[中]』

本書ではついに、ローマ帝国滅亡へのカウントダウンが始まる。

1・外的環境が劇的に変わり始める

2・国がまとまらず内輪揉め

3・ますます危機が迫る

4・手遅れになり滅亡

本書を読むとまさに、国が滅ぶ段階があることに気づかされる。

外部環境が変わり危機が迫ったとき、それを放置しておいては手遅れになる。危機に気づいた為政者はいても、中には自らの権力維持のみに関心を払い、脅威に対し抜本的な対策が打たない者もいる。

「今すべきこと」ではなく自己保身に走る者が為政者となった時、国が崩れ始めていく様が見えてくる。

印象的なのはゴート族に土下座講和をしたトレボ二アヌス。皇帝が和平を求めても侵入者は争いを望む。毅然とした対応をせず侵略者に対し弱腰で妥協すれば最後に全てを奪われる。

戦う姿勢を見せない者は侵略者から一方的に奪われるだけという事実は、ほんとうに残酷だ。

『ローマ人の物語34 迷走する帝国[下]』

ローマ帝国の落日に抗う皇帝たちの運命と、歴史の大きな流れについて思いを馳せてしまう話。滅亡へ向かう帝国を救おうと東奔西走した皇帝が登場するも、まるで帝国を滅ぼさんとする何か意思のような、過酷な運命が待ち受ける。

西はガリア帝国、東はパルミラ王国。分裂したローマ帝国を獅子奮迅の活躍で再統一したアウレリアヌス。

しかし「これから」という時、己の保身で理性を失った側人によって暗殺。その後も幾人もの皇帝が出ては倒れを繰り返す。本書を読んでいると、まさに「終わり」に続く流れがあることに気づく。

それと、ローマ帝国滅亡の要因の一つがキリスト教徒の台頭。ではなぜ彼らが台頭することになったのか?

(ローマ帝国が)帝国内に住む人々に対して、「平和」を与えることができなくなったがゆえに、「希望」も与えられなくなってしまった。

P207

結果という指摘は、本当に興味深い。

『ローマ人の物語35 最後の努力[上]』

ローマを立て直そうと帝位に就いたディオクレティアヌスの治世と政策が語られる本。読後は人間世界の掟。すなわち

人間が決めて実行するあらゆる事柄には〜略〜プラス面があると同時にマイナス面もあわせ持つという性質がある。

P78

という言葉に納得する。

ローマは4人の皇帝が統治する時代へ(四頭政)。4人が皇帝となり、それぞれの担当地域を「分担」防衛することで、外敵の脅威に対応するシステムを整えた。その結果、兵力は増大化し組織が肥大化。ローマは官僚大国となり、彼らの「維持費」にお金がかかるようになってしまう。

そこで新税制の導入など「改革」を行うものもそれらの「努力」はローマを変えていく。何巻かは忘れたけど、その国にはその国の「らしさ」があり、「「らしさ」を失った国は滅亡する」という言葉があった。

「最後の努力」の過程で「ローマらしさ」を失っていくのがまた、なんとも言葉に詰まる。

『ローマ人の物語36 最後の努力[中]』

ディオクレティアヌス退位後の権力闘争を勝ち抜いた「大帝」コンスタンティヌスの治世とその時代を描く。権力闘争より発展した内戦を勝ち抜いたコンスタンティヌスと、権力を簒奪したものの敗者となったマクセンティウスの対比が印象深い。

一国家の誕生から死までをあつかう通史を書いていて痛感することの第一は、人間にとっての幸不幸は、自分に合った時代に生まれたか否か、にかかっているということだ。

「カバーの通貨について」より

冒頭からこの言葉を読んで、深く考えさせられてしまった。

機を見るに敏、しかし実務の経験なく温室育ちゆえに重要な戦いで「机上の空論」の作戦しか立てられなかったマクセンティウス。若き頃から現場に立ち実戦経験を積んできたコンスタンティヌス。

2人の経歴は、人生で積み重ねてきたことが「ここぞ」という場面で致命的に影響することを教えてくれる。

『ローマ人の物語37 最後の努力[下]』

権力闘争を勝ち抜き最高権力者として君臨したコンスタンティヌスの治世とその最期を描く。新都コンスタンティノポリスの建設やキリスト教の振興など、彼の治世によってローマは「別の国家」へと移り変わり、そしてそれは「中世」へと続いていく。

ローマという国家があり、それを内側から変質させ全く別の国にしてしまう。この本を読み終えたとき、「冒頭のカバーの銅貨について」で書かれているこの言葉の意味が、深くのしかかってくる。

コンスタンティヌス以降はもはやローマ帝国ではない、としてペンを置いてしまう史家もいたほどである。

『ローマ人の物語38 キリストの勝利[上]』

大帝コンスタンティヌスの後継者となった次男コンスタンティウスと、副帝として抜擢されたユリアヌスの活躍を描く。小心で嫉妬疑いコンスタンティウスと、24歳で表舞台に登場、「己の使命」に目覚めたユリアヌスの人物対比が印象深い。

20歳まで幽閉同然に扱われ学徒を志したユリアヌス。24歳で突如「副帝」に抜擢。軍事に政治、ともに経験なしの若者が最前線へ送られ自分の「使命」に覚醒。為政者としての気高い責任を自覚するくだり(P206〜)は読んでいて心が躍った。

高貴な地位は自ら欲した結果手に入れたものではなく、偶然によって「与えられた」もの。にも関わらず、自分がその地位にいることによってどのような責任が生じているのか?

20代という若さで「自分が果たすべき役割」を強く自覚し行動するその姿勢に、器の大きさを感じざるを得ない。

『ローマ人の物語39 キリストの勝利[中]』

皇帝となったユリアヌスの統治とその死、そしてキリスト教の拡大が描かれる話。「民衆のために良い政治を行いたい」という崇高な志を持ちつつ孤軍奮闘するも、遠征先で道半ばにして倒れたユリアヌスの短い生涯に、強い感銘を受ける。

変貌しつつあったローマ帝国を復興させ、民に安寧の日々をもたらさんと様々な改革を行う若き指導者、ユリアヌス。

結果はどうであれ、自分のやるべきことをやることをやり遂げ「自らに忠実に、自分の考えを裏切らずに生きた」(P162〜)のなら、結末はどうであれ、後悔は残らないのだと思う。

『ローマ人の物語40 キリストの勝利[下]』

多神教のローマが一神教のキリスト教国へと変わっていく話で、読後「キリストの勝利」という副題はそういう意味なのか、と納得する。

興味深いのは結局信じるか信じないかではなく得をするか損をするか。人々の現実的な決断が興味深い。

一神教とは、自分が信じているのは正しい教えであるから、他の人もそれを信じるべき、とする考えに立つ。

P127

「私が正しい」という人は「私が正しい」ゆえに他が「間違っている」と考え、人に自分の考えを押し付ける。押し付ける方と押し付けられる方、争いになるのは想像に難くない。

『ローマ人の物語41 ローマ世界の終焉[上]』

「最後のローマ人」として国を守り続けた「忠臣」スティリコの活躍とその最期を描く。読後はただ、「滅ぶ組織は滅ぶべくして滅ぶ」という現実を突きつけられた気がした。

ローマ領内に侵攻する蛮族たちを東奔西走、撃破しつつ皇帝を盛り立て国を守る「蛮族出身」のスティリコ。しかし自分たちは安全な場所にいて決して現実を見ようとせず、挙句は前線で国を守り続けたスティリコを陰謀で殺してしまう。

そんな国は、もはや滅ぶ以外の可能性はなかったとしか思えない。

蛮族をその智勇で撃退し続け、国を守り続けたスティリコ亡き後、ローマは蛮族に侵攻を止められず「恐喝」され、挙句は首都さえも強奪され多くの命が失われた。この流れは偶然ではなく、読後「そうなるべくしてなった」とことが分かる。

敵は「外」だけにあらず。むしろ「内」にこそ、なのかもしれない。

『ローマ人の物語42 ローマ世界の終焉[中]』

本巻でついに、東西に分裂した西のローマ帝国が滅亡する。「これからあなたが読むのは、情けないローマ人の物語」という冒頭の注意書き通り、語られるのは滅ぶ国家の必然的な運命。「あっけなく」という印象が、強すぎる。

われわれは今、かつて栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち合っている。だがこの今、わたしの胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかわがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ。

P198

かつてカルタゴを滅ぼした際のスキピオの言葉が引用されるけど、栄枯盛衰、盛者必衰。この言葉が深く、印象に残る。

『ローマ人の物語43 ローマ世界の終焉[下]』

西ローマ帝国滅亡後のローマの地を巡る「その後」について描かれる。2021年1月から読み始めた本シーリズもついに終了。読後は、「自らを守る力を持たないがゆえにたどるしかなかった人々の運命」(P207)が、深く印象に残った。

長い長いローマの歴史を振り返りつつ、一番本シリーズを読んでいて面白かったのは、ローマの歴史それ自体ではなく、国家の盛衰を通じて印象付けられる「人間」のリアルな姿。本シリーズを読み終えた結果、前よりもっと、「人間とはなんぞや?」という疑問の答えが、見えてきた気がする。

感想など

『ローマ人の物語』を全巻読破してつくづく思ったのは、歴史の転換点となるクリティカルなきっかけ(大きな変化を引き起こす原因)がある、ということです。

それが起こった時点において、表面上は劇的な変化が起ったようには見えません。ところが、それを契機に様々な変化が生じ始めます。それまでは起こらなかった流れが生まれます。

それらはやがて、大きな出来事へとつながっていきます。そして振り返れば、「すべては特定の出来事をきっかけに始まった」と気づきます。起こったこと(結果)からそこへ至るまでの道筋が見える。これが歴史を学ぶ楽しさであり、意味だと感じています。

我々が生きているこの時代、日々様々な出来事が起こっています。起こった出来事をながめつつ、それが今後何を引き起こすのか?その結果世の中はどこへ向かうのか?読後はこの国の行く末について、深く考えざるをえません。

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『ローマ人の物語』1〜13の感想