「すべての生き物とは結局、遺伝子を運ぶための機械のようなものである」
ついに「この本だけは読んどけ」と強くおすすめされることが多いリチャード・ドーキンス著『利己的な遺伝子』の40周年記年版を読破。
正直なところ、内容の多くは難解で、今現在の私の教養力では理解できない内容が多々あったことを告白せざるをえません。
『利己的な遺伝子』を読んで理解できた3つのこと
しかしながら、『利己的な遺伝子』を読んで、数少ないながら理解できた事柄がいくつかあります。
それがこちらです。
人とは結局、遺伝子を運ぶ存在である
生物とは早い話、自己を複製するための遺伝子が住むための場所。
遺伝子は自らが生き残り、複製を果たすために適切な戦略を持っていて、今現在、地球上に生存している生き物はまさに、遺伝子による進化戦略の結果であるということ。
「利他」行為ですら適応戦略である
生物の一見、利他的に見える行為も実のところは結局、その遺伝子が生きていくために適切な戦略であり、本質的には、自己を繁殖させるための行動であること。
滅私奉公。人間が感情的に考えてしまう行為の実態は結局のところ、遺伝子が考え出した、生存戦略であること。
人間には人間の繁殖戦略がある
ミームの話。
人間は動物とは違って、文化的な繁殖戦略を持つ。これこそが、ただの生物と人間の、繁殖戦略に違いが現れる可能性になる。
感想など
もし、すべての生き物が遺伝子を運ぶ存在だったら。人間はどうなるのか。人が生きることは何なのか。どんな意味があるのか。
そんなことを考えて、この分厚い本を1ページ1ページめくっていました。
遺伝子という言葉をキーワードにあらためて読後、内容を振り返ってみると、印象に残ったことが上記の3つでした。
私たちの行動の背景には遺伝子拡散作用あり。自分の遺伝子を守りたい。拡散したい。そう過程して考えれば案外現実で納得できることが多いのは確か。
自己中な行動は言わずもかな、他人を助けること。滅私奉公すること。感情論的に考えがちな人の行動ですら実は、生物的には理に適った行動なのかもしれない。
それが分かっただけでも、本書を読んだ価値あり。精神的脳みそ的に一皮むけることができた、読書体験でした。