なんとなく本棚に入っていた芥川龍之介の「杜子春」を再読。
改めて読んでみると、この話って結構深いというか、あれこれ考えさせられてしまいました。
「杜子春」がどんな話かというと、
プラプラしている杜子春が仙人の力によって金持ちになる。
↓
お金を使いまくって楽しむも、一文無しになる。
↓
また仙人の力で金持ちになる。
↓
豪遊をしてまた一文無しになる。
↓
仙人が「またお前を金持ちにしてやろうか」というも、「人にうんざりしたので、仙人になりたいです」と仙人を目指す。
↓
仙人修行で死にかけ、仙人になることを諦める。
↓
最後は、結局大切なものは今身近にある、今いるところから、今あるがままの暮らしを大切にすることを知る。
という感じで、なかなか教訓的な話。
「侏儒の言葉」とか「蜜柑」とか、芥川龍之介の作品って、大人になって読んでみるとなぜだか異様に心を揺さぶられます。
この杜子春もそう。
ぐーたらな杜子春が仙人パワーで金持ちになって、お金を使っていたときは周りに人が集まってきて皆親切でハッピー。
でも、お金を使い果たしたら皆冷たくなって、杜子春の元から消えてしまう。それでもう1度仙人パワーで金持ちになって豪遊するも結果は同じこと。
これで次は仙人になろうと修行しますが、いろんな試練でダメになってしまうのですが(ここはネタバレなので一応書きません)、人生で本当に大切なものは何なのか、そのことを杜子春は知ります。
ここが本当に素晴らしい。
本当に大切なものって、価値があるものって、他ではないどこかではなくて、案外身近にあったりするもので、身近にあるからこそ、その価値はなかなか気づかない。
もしかすると、それは失ってから気づくものでもあって、失ってしまってからではもう遅かったりします。
お金とか、外的なものというのは案外人を幸せにしなくて、「○○さえ手に入れば」という考え方では、身近にある大切なものを見失ってしまうのかもしれない。
「杜子春」を読んで勝手にそんなことを妄想していましたが、うーん、人生っていろいろ難しいですよね。
人生で本当に大切なものって何なのだろう?そんなことを自問自答したいとき、このお話が、何かのヒントになるかも。