教育崩壊の原因は子どもが変わったから?『オレ様化する子どもたち』を読む

オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)
学級崩壊、公教育の崩壊は子どもの変化にあり!?

諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』(中公新書ラクレ)の読書感想です。

この本について

子どもの変化を分析した本。この本を書いたのは、実際の教育現場をしてきたベテランのプロ教師。経験に裏打ちされた子ども像の変化を鋭く分析、私達が生きている日本社会がどのように変化しているのかを知ることができます。

以下、本書の気になった内容です。

オレ様化した子どもとは(P11)

オレ様化した子ども=自分は偉く正しい一人前な存在だと思っているが、実際には自分を客観視することのできない、脆弱で内向きな自己感覚を持った子どものこと。

いい教育とは(P16)

いい教育=のびのび+厳しい教育

子どもをのびのびさせ過ぎると、学校はただの遊園地になり、社会で必要な規範意識や規律感覚が育たず、わがままで他人に害になる人間になってしまう。しかし、厳しいだけでは、学校はただの収容所になり、子どもの自意識が育たない。

教育は、厳しさと自由さ、両方のバランス感覚が重要だが、現在の教育は、のびのびさ(自由度や個性)に偏重している。こどもの「ありのままの姿」を尊重し、ダメなところは教えていく姿勢が欠けている。

管理人注

「子どもの個性を尊重する」という言葉はとても耳障りが良いですが、現実的に子どもをありのまま受け入れるとどうなるか?とても恐ろしいことになります。

子どもがキレて他人に暴力をふるっても、「○○ちゃんには○○ちゃんの考えがありますから」と子どもの暴力を容認し放置するなど、直すべきことを直さないなど、子どもを感情のまま動く原始的な人間にさせてしまいます。

学校の教育現場に行けば、そのような実例は簡単に見つけることができる現状、「子どもの個性を尊重する」という主張は、子どもの悪いところを注意せず、放ったらかしにするための方便なのが現実かもしれません。

80年代のオレ様化した生徒たち(P26)

80年代、学校に反旗を翻したオレ様化した生徒たちは、周りや学校と自分が合わなければ、自分から学校を去っていった。必要がないと判断したことはすぐにやめ、周囲の意見を聞かず、「自分の考える正しいこと」を第一にしていた。

彼らは、まわりや社会と協調せず、「自分」を何よりも大切にした。この意味で、彼らの登場は、「新しい日本人」の登場であった。

子どもは無垢な存在ではない(P36)

一般的に、「子どもは生まれたときは善であり、無垢な存在である」と考えられているが、子どもは真っ白で無垢な存在ではない。

子どもは生まれたときから時代に影響され、その色に染められている。そこからさらに、家庭や地域、メディアによってつくられていく。子どもは時代と環境によってつくられる存在である。

オレ様化した子どもは客観的な視点を持たない(P52)

オレ様化している子どものすべては自分視点。他者視点がなく、「自分が思うことや考えること=正しいことでみんなもそう思うはず」と考えている。だからこそ、ハタから見ると異常でモラルのない行為も、平気ですることができる。

新しい子ども像から分かること(P76)

昔の子どもと今の子どもはどこが違うのか。一般的に、今の子どもはわがままで、キレやすく、自我が誇大していて人間関係の能力が低いというイメージがあるが、見方を変えると、子どもの変化は時代の変化を写している。

わがまま=自分の利益に敏感、キレやすい=自己主張できる、自我誇大=「個」が確立した、ということであって、一見マイナスに見えることも、プラスの面がある。

子どもが変わったということ=時代が変わったということ。

教師の権威の失墜は消費社会の拡大が原因(P81)

現在の社会は資本主義社会であり、「買うものやお金を使う消費者」が力を持っている。ものを買う行為は、一人の消費主体として力を持つ存在であり、お金でものを買うことによって、一人の権利意識が高くなっていく。その結果、商品交換的な発想を持つようになる。

近年は、その商品交換的意識が教育にまで及び、教育=商品と考えられるようになった。そして教師は「目上や師」ではなく、子どもにとって「教育サービスを提供する対等な存在」になった。

このことから、教師と生徒同士の関係も変わった。教師は生徒一人一人とつながっているが、生徒は他の生徒とのつながりが薄れ、「クラスのみんな」という共同体的な感覚が希薄になっているのが現代の教室の特徴。

子どもに共同体的な感覚が育たないため、学校という集団生活の場がおかしくなり、上手くいかないのはある意味自然なこと。

未熟である子どもが大人に対等さを要求すること(P100)

今のオレ様化した子どもの意識は、自分が一人の価値ある存在であり、商品交換的な対等さを教師に要求する。消費者的な意識で、「自分に合う教師」を要求する

未熟なオレ様化意識を持つ子どもが増えれば、教師一人では対処することはできない。学級崩壊は必然。

今の子どもが傷つきやすい原因(P128)

オレ様化意識を持つ子どもは、相手が大人であれ、「対等である」という意識を持っている。

大人と自分がフラットな関係であるという意識があるため、親や教師の言葉を距離を持って聞くことができない。そのため、受け流すことができず、すぐに傷ついてしまう。

「大人とは対等である」と思っており、「自分に合っている」ことが判断基準のため、自分が気に入らない言葉を聞くと、すぐに傷ついてしまう。

これは、自分を客観視できず、人の意見を「1つの意見」として聞くことができないオレ様化した子どもならではの問題。

教育の社会化と個性化(P188)

社会化とは、子どもを社会の枠組みに合う個に育てあげること。これは子どもを社会に適応させるための厳しさであり、愛のムチである。

個性化とは、子ども独自の個性を育てあげること。良いところをのびのびと伸ばしていくところであり、自分の個性を上手く伸ばせた子どもは、独自の才能を開花させることができる。

しかし、個性重視で社会化されていない子どもは、社会に適応できず、自らの居場所をなくし孤立、生きていくことができない。教育において、社会化(厳しさ)と個性化(のびのび)が重要な理由はここにある。

近代という時代(P212)

近代は、科学という武器を持った人間が、自然や宗教など畏れを征服し、傲慢になっていった畏れを失くした時代。一見、自立したように見える個だが、内面には虚栄と脆さがある。

感想など

子どもは教師に等価交換を求める一人の消費者。

早い話が、教師は昔のような権威ある存在ではなく、親や子どもにとってコンビニ店員やレンタルショップの店員のような、「サービスをする大人」でしかない。この本を読むと、そんな恐ろしい子どもの実像が見えてきます。

確かに、権利意識の強い子どもが増えるほど、授業崩壊が増えていくのは自然の理。

現実的に教師や公立学校が力を失った今、子どもの学校をどう考えるかは、かなり切実な問題。まともに子どもの教育を考えるなら、荒れた学校など絶対に通わせるわけにはいきません。

いずれにせよ、今の日本の公教育は限界を迎えているのが現実だと思います。そろそろ、教師論よりも学校の制度自体を改革するべきではないかと個人的には思っています。

義務教育は小学6年まで、崩壊している学校には警官を配備、教師の仕事を教科指導に特化、部活動を専門の人員にしてもらう、給食費滞納やモンペは罰則で制裁するなど、仕組みを変えることで、状況が良くなることもあると思います。

環境が人を変えるのはよくあること、それなら、学校制度を変えるのが一番だと思うのは極端でしょうか。それにしても、今は難しい時代なのかもしれませんね。

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