学校は社会を映す鏡。『悲鳴をあげる学校』の読書感想

ポイントはイチャモンの裏側にあるものに気づくこと。

小野田正利著『悲鳴をあげる学校―親の“イチャモン”から“結びあい”へ』(旬報社)の読書感想です。

この本について

保護者や近隣住民から寄せられる非常識な学校への「イチャモン」に対する解決法を考える本。

学級崩壊やモンスターペアレンツなど、学校現場が荒廃している現状、学校への非常識なクレーム、「イチャモン」に焦点をあて、その背景にあるもの、解決策を考える内容になっています。

以下、本書の読書メモです。

「自子中心主義」の時代(P21)

現代は自分の子どものことだけを考え、「自分の子どもさえ良ければ周囲はどうでもいい」という、自子中心主義が蔓延する時代。

子どもが明らかに間違っている状況でさえ、自分の子どもを100%正しいと信じ、学校を非難したり責任転嫁をする保護者が増えている。

この状況は、ただ単に利己的な人が増えたということではなくて、人や社会と適切な関係を築けない孤立的な人が増えたというサイン。

自分の子どものことしか考えないということは、他の人には干渉しないという孤高主義ではなく、人や社会と関係性が持てないあらわれ。

だからこそ、自子中心の視点しかもてず、子どもに問題があっても、非常識な対応をしたり、学校へ理不尽なクレームを出してしまう。

また、自子中心主義の保護者は、本人自体が何かしら満たされない思いや、普段の生活で不満(仕事や夫婦関係の問題など)を抱えており、それが「子どもへの思い」というカタチに偽装され、学校へのクレームになっている。

保護者自体の不満や悩みが、クレームの背景にある。

要望の三段階(P31)

保護者や地域が学校へ要望を出すときには、

1・要望

2・苦情

3・イチャモン

この3つの段階がある。

最初は、「学校はこうあって欲しい」と始まった要望が、やがては苦情へと変わり、最後には理不尽なクレーム、イチャモンへと発展していく。

イチャモン増加の背景にあるもの(P73)

学校、子どもは社会を映す鏡。学校への理不尽なイチャモンが増えた背景には、世の中の変化がある。

構造改革等の政策によって、格差が広がり、勝者と敗者の差が拡大、世の中に不満や不安が広がっている。

勝者と敗者が二分される世の中で、日々不満を感じている人は、うっぷん晴らしとして、自分のより弱い者、抵抗しない者へと自分の不満を向ける。

学校へのイチャモンも、その一つの兆候。

「そうですね」ではなく「そうですか」(P126)

理不尽なクレーム、イチャモンに対しては、安易に「そうですね」と相手に同意するような相づちを打つのではなく、「そうですか」と相手の意見を聞く姿勢を示すこと。

ポイントは、相手の意見を否定するのではなく、「あなたの主張を認めるわけではないが、話はきちんと聞いています」という姿勢を示すことが大切。

感想など

学校も随分変わったなと実感できる本。

私が小学生だった1990年代はまだ、学校というのは怖いところで、先生は本当に怖い、そして理不尽な存在でした。

宿題忘れたら平手打ちされたり居残りで正座させられ、原稿用紙に漢字を書かされたり、「歯を食いしばれ!」と鉄拳制裁を食らったもの。

今なら問題になることばかりでしたが、学校でのそういう経験って、けっこう思い出に残るものです。

でも今は逆に先生が萎縮して、何だか難しい時代になってしまったようです。

そういえば、学生時代にバイトで関西の某地区の塾で長い期間働いたことがありますが、子どもたちから学校のことを聞くと、まぁ本当に大変だなぁと。

関西は(東京も同じですが)公立は地域によっては子供を安心して通わせられない状況の学区があるので、子供の教育に関心を持つ保護者の方は中学校は私立へ行かせたい方が多い印象。

話を聞くと、確かに「子供がいたらそんな学校には通わせたくないな」という話ばかり。公立学校がおかしくなれば、当然私立人気が高まるわけですが、それも何だかなーという感じです。

日本の公立学校の場合、学級崩壊などが起こったとき、解決が構造的に難しい現状があって、アメリカのようなゼロ・トレランスのような制度が導入されには難しいのかも。

いずれにせよ、世の中、本当に難しくなっているのかもしれませんね。

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