追い求めるのは成功や名声より自分なりの生き方。『無名の人生』を読む

平凡な人生はそれはそれで尊い。

渡辺京二著『無名の人生』(文春新書)の読書感想です。

『無名の人生』について

『逝きし世の面影』や『近代の呪い』などで知られる作家、渡辺京二さんの人生論がこちら。

平凡であること、無名であること、生きることとはどういうことなのか、平易な語り口ながら、ヘビーで味わい深い、本当の意味で豊かな人生を生きる価値観が書かれた内容になっています。

以下、本書の読書メモです。

現代人は自己愛過多(P11)

昔の多くの人は自分のことにこだわりすぎず、自分のことを平凡と考えていた

自分に執着せず、自分を過大評価しないため、一人の市井人として、公衆の面前でも出しゃばらず、目立ったり恥となるような行為を避けていた。

しかし現代人は自分の個性を過大評価し、人の評判や自分の評価を過大に気にするようになっている。派手な言動をして目立とうとする人が増えたのは、人々の自己愛が誇大化しているから。

人間は儚く寂しい存在(P13)

人は広い世界に放り出され、そこで誰からも守ってもらえず、一人自身の身を守らねばならない寂しい存在。弱く儚く、寂しい存在だからこそ、人は、誰かとつながろうとし、友を作り、家族を作る。

人と人とつながろうとすることが、社会的な交わりを生み、文明を作り、文化を生む。自分を保障する法律や制度が生まれるのも、人が根源的に寂しく、一人では自分の身を守れない弱い存在だから。

病気が流行する意味(P36)

病原菌が発生するのは個体をコントロールしようとする地球の自浄作用。多すぎる存在を調整するため、病原菌は存在し、バランスを保つため個体数を調整する役割を持っている。

死に方くらい自分で決める(P40)

人が小さいうちは自分の運命を決めることができない。しかし成長して大人になれば、自分で決断し、行動することができる。

どんな環境であれ、自分がどう生きるのか、どういう最期を迎えるのか、自分の意志で、結果を受け入れることができる。

人生の良し悪しは自分の受け止め方次第(P71)

幸福なこと不幸なこと、人生いろいろあるが、一生を通じてみると、人生の幸不幸の数を数えるのは意味がない。

結局のところ幸福か不幸かは自分次第。自分がどう受け止めたかで、幸せにも不幸にもなる。人生で起こった出来事を、評価もせず否定もせず、ありのまま受け止めることが大切。

どんな人にも生きやすい場所がある(P88)

どんな人にも、それぞれの適した場所がある。

世の中が息苦しく、今いる場所が死に場所のように苦しいところであっても、世の中をよく見渡せば、自分が生きやすい場所があることに気がつく。

その場所を求め、見つけようとすること。それは必ず見つかる。

貧乏でも生きやすかった江戸時代(P95)

「徳川時代は暗黒時代だった」という話があるが、それはウソ。

江戸時代は極度の金持ちもおらず極度の貧民もいない安定した世の中だった。貧乏人もいるが、貧乏でも人間らしい楽しみを持って暮らせる保障があった。

自国の悪口を言う人(P118)

日本ではよく、「外国では○○で素晴らしいが、その点日本は・・・」と自国の悪口を言う人がいる。

彼らはコンプレックスの塊で、自分にないものを鏡にして引き合いに出しているだけ。そのため、彼らの鏡は歪んでおり、物事を正当に評価することができない。

仕事について(P148)

いくら我慢して頑張っても、どうしても「これは向いてない」という仕事がある。仕事をするなら、どこかで納得できないと続けることはできない。

ただ闇雲に仕事に見切りをつけず、自分なりに納得できるよう、工夫してみることが大切。そうすれば自分主体で仕事に向き合うことができ、納得できるものが見つかる場合もある。

工夫しても無理なら転職すればいい。一度自分に適した仕事を見つけたなら、何があっても続けることが肝心。その仕事を一人前になるまで頑張る。

人生の不幸は野心から始まる(P149)

出世願望=不幸の始まり。組織で出世しようとすると、派閥に入ったり、同僚を蹴落とすことが必要となるため、必然的に人として嫌な思いをすることになる。

出世をせず人として清潔な生き方をしても、それが幸せにつながる保障がないのも事実だが、自分が選んできた生き方なら、どんな不運に襲われようと、恥じることなく、堂々と生きていける。

自分の意に沿わない生き方、友を裏切り踏み台にし、恩師に仇なすような生き方は、自分の人生を傷つける。出世はイヤイヤするもので、欲を出して目指すものではない。

友人は付かず離れず(P154)

どんなときもいつまでも、ずっとつながることができる親友を持つことは難しい。人間関係は流動的なもの。どんなに親しい友でもときに敵に変わることがある。

本来友人関係は条件付きのものであり、そこに絶対の関係を求めるのがそもそもの間違い。友人には過大な思いを持たず、自分の気持ちを相手に押し付けず、ほどほどの距離で付き合う。

本当の才能を持った人間はあくまで例外(P159)

「才能」や「自己実現」といった言葉に踊らされてはいけない。飛び抜けた素質を持つ人間など例外中の例外で、多くの人はそのような「才能」など持っていない。

天才がもてはやされるのは、それだけ世の中に凡人が多いから。天才はあくまで例外であって、自分や子どもに「才能」を期待するくらいなら、努力を大切にした方がいい。

「自己実現」にしても、所詮は有名になり金持ちになることを目指すだけ。それよりも、無名でも平凡でも、自分なりの生き方を追求する方が、人生の満足度は高くなる。

自分の天分を見つけ、そこで努力して、自分の居場所や生き方を見つけていく。じっくりと自分の道を見出すべし。

感想など

『逝きし世の面影』や『近代の呪い』の著者の渡辺京二さんが自らの人生観を語った本ということで、興味深々、読んでみました。

現代人と昔の人はどこが違うのか、幸せとは何だろう、人生とは何だろうと、改めて考えさせられる、個人的にはヘビーな内容の本でした。

特に興味深かったのは、出世に対する考え方。

「出世は無理に目指すものではなく、嫌でもするもの。欲を持って出世を目指せば、それは不幸の始まり。友を利用し蹴落とし仲間を裏切るなど、人間として汚れる覚悟が必要である」

考え方をまとめるとこのようになるのですが、キレイ事を抜きに考えれば、納得できるものがあります。

出世=椅子取りゲーム→周囲を蹴落とし競争に突き進むことで、当然、周囲との軋轢や、人から嫉妬と恨みを買うことになります。

人のことを思いやっていたら、自分の首が取られる修羅の世界、勝ち抜くには、自らも手を汚す修羅になる必要があります。

出世ゲームでは、人を貶め貶められても怯まない強靭な精神が必要になりますが、こんな競争に参加して幸せを目指す事自体間違っているのかもしれません。

まぁ今の世の中は社会に出れば、否が応でも競争に巻き込まれてしまうご時世。自覚がないと、無意識のうちに競争レースに参加させられ、消耗させられてしまいます。

だからこそ、自分はどう生きるのか、何を大切にするのか、意識しておくことが大切のように思いました。

「人は黙って生まれて黙って死んでいく。無名でも平凡でもいいじゃないか。自分の天分を尽くせばいい」

確かにその通りで、勝つこと、富や名声を持つことがもてはやされる世の中の今、人生で何を大切にするのか、どう生きるのかを考えるきっかけになる本でした。

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