金なし、愛なし、学歴なし、ないないづくしの人生でも関係ない!
勢古浩爾著『ぶざまな人生』(洋泉社)の読書感想です。
この本について
ちょっと変わったタイトルの人生論エッセイ。
人生とは何なのか、生きることとは何なのかなど、誰もが一度は悩む人生の問題について、緩くもなくキツくもなく、独特な人生論が楽しめる内容になっています。
以下、本書の読書メモです。
人生について(P5)
人は皆、望む望まないに限らず、「自分」の人生を生きている。老いも若きも、それぞれいろんな問題や悩みがあり、不安があり、そのなかで生きている。
人生を振り返り、それがもしかしたら、自分が望んだようなものではないかもしれない。夢はかなわなかったかもしれない。悲惨なものになってしまったかもしれない。
何でもあるのが人生であって、何にもならないのも人生というもの。
人生の摂理(P32)
人生はとても残酷な側面がある。
皆誰もが人生の勝者になるたがるが、何がどうであれ、努力しようとそうでなかろうと、勝者は勝つし、敗者は負ける。
世の中の重荷を一身に背負う人もいるし、特に苦労なく、人生を楽しむ人もいる。その理由は神のみぞ知る。
人生を「ぶざま」と思ってしまう条件(P49)
こんなとき、人は自分の人生をぶざまと思ってしまう5つの要素。
1・金がない
2・愛されない
3・学歴なし社会的地位なし
4・有名でない
5・流行に関わらない
世の中で価値があると考えられているものから離れ、自分を全面に押し出す、それはある意味、「ぶざま」な生き方かもしれない。
「ふつう」の人生(P90)
世間の平均的なモデル、家庭を持ち家を持ち、安定した仕事がある。それを「ふつう」の人生と言う。
この生き方は全く面白みがなく、刺激がなく汎用だが、その「ふつう」の人生には、普遍性がある。
自分の居場所を探す(P149)
人生とは世の中で、自分の居場所を確保して、それを維持していくこと。自分の居場所は砂上の楼閣であってはならず、現実的で実体を伴わなければいけない。
この場所は、他人を押しのけて見つける場所ではないし。抜け駆けをしなくてもいい。自分の力だけで確保する。
自分の居場所が見つかったら、それを他人と比較せず、「俺にはこれで十分だ」と納得する。それが自分の人生というもの。
感想など
帯の「人生を黙って耐えて生きる男のための覚悟の書!」という文言に釣られ購入。
別に、人生を黙って耐えて生きていくつもりは毛頭ないですが、まぁ人生はいろいろあります。
長い冬をじっと耐え、「今か今か」と春を待ちわびるとき。何もかも順調で、まるで世界が自分を祝福しているようなとき。
そんな人生の様々な経験で、これでいいのかいけないのか、いろいろ悩みつつ前に進んでいきます。そこでカギとなってくるのが、人生についての捉え方。
人生については、
「人は自分自身が考えたとおりの人生を送る」
「人生は舞台だ、人はそこで決められた役を演じるだけ」
などいろんな考えがありますが、様々な人生論にふれ、自分にピンと来る考え方を選べばいいと思います。
本書もそのための材料の一つで、自分にとってはどうなのか、考える材料になります。
ちょっと個性的で独特ですが、笑いあり自虐の毒あり、こんなふうに人生について考えるのも面白いかもしれません。