結局幸せは「今」見出すもの。
岸見一郎著『不幸の心理 幸福の哲学 – 人はなぜ苦悩するのか』(唯学書房)の読書感想です。
この本について
アドラー心理学で有名な岸見一郎先生の幸福論。
心理学・哲学的な視点で、幸せとは何のなか、生きることとは何なのかを考察。自己考察して「より善く生きる」ためのヒントが満載の内容になっています。
以下、本書の読書メモです。
劣等コンプレックスについて(P25)
「自分のここがダメだ、だから○○できない・・・」という劣等コンプレックスは対人関係におけるコミュニケーションのパターン。
それは心の中で起こっている現象ではなく、人生で大切なこと、課題を避けるための口実作り。劣等感を言い訳にして、すべきことを避ける理由にしている。
対人関係における地雷(P43)
誰かとコミュニケーションのトラブルになる、それは人の課題に無遠慮に踏み込んでしまったとき。
人にはそれぞれ課題を持っている。ある人は結婚、ある人は仕事、それぞれ悩みを持ち、それを克服しようとしている。
しかし、人の課題に無遠慮・無意識に踏み込んでしまうと、それは相手の地雷を踏むことになり、対人関係におけるトラブルとなる。
対等の関係(P63)
人間関係は上下横、いろんな関係があるが、もし誰かと本当に良い関係を持とうとするのであれば、横の関係になることが必要。
横の関係は、どちらが良い悪い、優れている劣っているという比較がない。互いに尊敬し合う関係であり、そういう関係が最も安定し、良い関係が持てる。
↑を目指す限り幸せにはなれない(P67)
「もっと」を求める生き方、「今の自分はダメ、だから」という生き方はいつまで経っても上下という概念、考え方から抜けられない。
そのため、↑を目指しそこにたどりついても、もっと↑があることに気がつく。だからいつまでも満足できず、幸せを感じられない。これが上昇志向の罠。
人は皆違う(P91)
人は自分は一人ではないと安心するため、自分と同じような人を求めたがる。でも現実、人は皆違う。
誰もがそれぞれの考え方を持ち、行動、価値観、全てにおいて違う。人は違う、それを前提に考えないと、適切な人付き合いはできない。
他者との関係(P125)
人は一人では生きられない。人は必ず他者との関係を必要とする。
他者の存在を認めず、自分だけの幸せを追求しても、それは無理な話。かりにそれが上手くいっても、他者への警戒心や不信感があれば、常に他者の攻撃に怯え、安心して生きていくことができない。
自分の存在を確認するにも、他者という鏡が必要。何にせよ、結局人は、誰かを必要としている。
トラウマ理論の罠(P212)
「過去にこんなことがあった、だから今の私はこうだ」というのが心理学の有名なトラウマ理論。
「今の自分の幸せを妨げているのは過去の出来事だ、だからそれを癒やす必要がある」というのは最もらしい考えだが、大切なのはいつも今。
過去はどうしようもできないし、過去から幸せを感じることはできない。結局は今が全てで、今何とかすることが最重要。
終わったことはどうしようもないしどうにもできない。今にフォーカスすべし。
感想など
「トラウマ理論にとらわれてはダメ、大切なのは今」という考え方が印象的な本。
過去がどうであれ、どんな生き方をしようと、これからの決断は全て今。今の行動によって未来は変わり、全てが変わっていく。
この考え方がアドラー心理学に基いているものなのかは分かりませんが、とても納得できるというか、現実的で実用的な考え方のように思います。
確かに、昔は昔、それは変えることもできないし、どうしようもなりません。何より、どんな最低の出来事、どん底の出来事にも、もしかしたら意味があったのではないか、そう考えることもできると思います。
そもそも、人生良いことばかりではないし、一つの失敗によって、「なんでこんなことになるんだよぉ・・・」と後悔してしまうこともあります。
でも、それを必要な経験、人生という旅におけるイベントの一つと考えれば、それは一つのスパイスであって、旅の終わり、その意味が分かってくるのかもしれません。
良いことばかりでは良いことの喜びを味わうことができません。良いことときに悪いこと、だから意味があるわけで、今に集中していれば、何事もそれは楽しい、意味深いもの。
幸福論はいろいろありますが、本書の考え方は自然に受け入れられるというか、重すぎず軽すぎず、「そうだよなぁ」と納得してしまうこと多数。
本書の考え方を知っておくと、「だから今」と、人生を楽しめるようになるかも。