自分の人生とは一体何だったのか。
幸せだったのか。それとも不幸だったのか。
人は様々な想いを抱えて、人生最期のときを迎えます。その想いが凝縮しているのがまさに辞世の句です。
歴史に名を残した偉人たちは人生の最期を迎えるにあたって、どんな想いを持っていたのか。
無念だったのか。それとも後悔しなかったのか。その想いに迫る本が、加藤廣著『戦国武将の辞世』(朝日新書)です。
この本について
本書では、織田信長をはじめ、上杉謙信に武田信玄。伊達政宗に毛利元就、そして豊臣秀吉に徳川家康。
名だたる戦国武将たちの辞世の句を読みとくことによって、彼らがどんな想いを持ち戦国の世をかけていったのか。
それを思う存分、味わうことができる内容になっています。
軍神と恐れられ敵対者たちを驚愕させた上杉謙信。
四十九年 一睡の夢
一期の栄華 一盃の酒
49年の人生は一瞬の夢のようなもの。どんなに素晴らしい栄華も所詮、一杯の酒と同じである。
P12
信長の期待を背負いその才能を発揮するもの時代の流れに乗り遅れて中央から遠く離れた地で無念に人生を終えた蒲生氏郷。
限りあれば 吹かねど花は 散るものを
心短き 春の山風
風は吹かなくても、花の命には限りがあっていつかは散ってしまう。なのになぜ、春の山風はこんなにも早く花を散らせてしまうのか。
P46
信長亡き後、秀吉と後継者争いで敗北、北の庄で自刃した柴田勝家。
夏の夜の 夢路はかなきあとの名を
雲井にあげよ 山ほととぎす
夏の夜のように短く儚い私の名を、ほととぎすよ、ぜひ後世にまで伝えてほしい。
P88
まさに、戦国の世を生きた武将たちの想いが凝縮。
その生き様に心を馳せつつも、自らの世について、考えさせられる内容になっています。
感想など
歴史は過去の出来事。そして、その過去の出来事が生まれたとき、そこには必ず、人がいました。
時代は変わっていくかもしれません。世の中のあらゆることのなかで、決して変わらないものはないのかもしれません。
しかしどんな世であれ、人が生きていくこと。命という限界を持った我々人が生きていくこと。
その本質的な部分は決して変わることはありません。
人生には争いがあり、苦しみがあり、栄光があり、幸せがあります。だからこそ、人がこの世を生きていくということ。そこにドラマがあります。
そう考えれば、本書で登場する武将たちの辞世の句。
そこにはまさに、
「自分はここにいた」
という、武将たちの声が聞こえてくるかのよう。
だからこそこの人生にそのときがやってきたとき。自分はどんな言葉を遺すのか。そのことについて、深く考えさせられた本でした。