人から好かれたいという気持ちがあるのは自然、ただし。
榎本博明著『「嫌われたくない」をどうするか?』(三五館)の読書感想です。
この本について
心理学者が書いた、人生を前向きなものに変えていくための自己啓発的な本。
この本では、
1・受け止め方を変える
2・覚悟を決めて一歩踏み出す勇気を持つ
3・「ひとりでいられる力」を身につける
この3つのステップで「人からどう見られるか?」という人の目を恐れる気持ちを克服。人生を前向きに生きていくための考え方が、分かりやすく紹介されています。
以下、本書の読書メモです。
人に嫌われることを避けていると(P12)
人から嫌われたくない。その気持ちが強すぎると、自分の言動が人からどう思われているのかが気になって、思うように行動できなくなる。
そのことによって、自分のキャラ、良さ、持ち味が失われてしまう。結果、自分自身を人生のなかで表現する機会を失ってしまう。
何より、人の目を気にした行動はストレスがたまり、人生そのものがつまらなくなっていく。
本音を話すのが怖い理由(P33)
人は本音を話せる人と関係が深まっていく。しかし、自分の本音を正直に話すのためらいを持つことも。
その主な理由はこの3つ。
1・現在の関係のバランスが崩れることへの恐れ
2・深い相互理解に否定的な気持ちがある
3・相手がどう反応するかが不安
本音を話すことで、当たり障りのない関係から、より深い付き合いへと発展し、互いに学びができる関係に発展していく。
が、本音を話す相手を間違えてしまうと、それによって痛い目に遭ったり、「変な人だ」と思われてしまう場合もある。
本音が話せない根底には、人の目を気にしてしまう心理がある。
不幸は誰にでもやってくる(P70)
人生で満足している人も、文句タラタラの人も、同じように不幸なことを経験している。
両者の違いは、やってきた不幸をどう認識したかの違い。起こった出来事に対する意味付けの違いが、人生態度に出てくる。
「今」目の前のことを頑張る(P101)
人生がつまらない、仕事がつまらない、意味を感じられない。そういうときは、「今」目の前のことを、創意工夫して頑張ること。
自分のしていることが周りにどんな影響を与えているのか、想像力をめぐらしたり、同じような単純作業でも、前より早くできるように意識したり、ちょっとした気持ちの持ちようで、やりがいが生まれる。
何にせよ、改善点や心がけ、工夫の余地はある。毎日がつまらない、仕事がつまらない、そういうときこそ、「今」に集中。「今」できることに最善を尽くす。
人生は受け止め方で変わる(P105)
どんな状況に置かれても、それをどういうふうに捉えるか、どう意味づけするかで、行動が変わってくる。
私たちは状況によっていろんな制約を受けるのも確かだが、その状況のなか、どう行動するかは、選択肢を与えられている。
状況が例え悪いように思えても、そのなかで最善の行動を取ることもできる。ギリギリまで粘って頑張ることもできるし、何もかも投げ出すこともできる。
どうするかは自分の受け止め方、考え方次第。最悪な状況であっても、もしかしたら、やれることはあるかもしれない。
俺はまだ本気出してないだけ(P121)
頑張っても上手くいかないことを恐れ最初からやらない理由を探す。努力をバカにする。
人は自分が傷つかないために、様々な言い訳をする。そのことによって、心理的な防御体制を敷いている。
失敗を恐れてしまう、そのことは仕方ないが、何もしないことによって、失われていくチャンスがある。
怖くてもやってみる、不安でもやってみる。それが大切。
一人の時間を大切にする(P189)
自分の心の声、人生に気づきを促すような感覚は、一人でいるときにやってくる。
人の中にいるときは、刺激に溢れ、自分の心の声に気づきにくい。人とつながることは大切だが、一人でいられない人間は自分の人生を生きることができない。
孤独を恐れず、一人になる時間を作る、自分の中から湧いてくる感覚に留意する。そういう習慣を持つ。
感想など
「人から嫌われたくない、人の目を気にしてしまう、それによってたくさん失っているものがある」
そんなことを実感できる本。
まぁ、人の目を全く気にしないのはダメですが、気にしすぎもダメなんですよね。
人からどう思われるか、バカにされないか。
そういうことを考えていると、やっぱり行動が縮こまってしまって、つまらなくなってしまう。挙句したいことすらしないようになってしまう。自分で考えられなくなってしまう。
思ってみれば、人からどう思われるかは、実害がない限りは、対した問題ではないのかもしれませんが、案外無意識のうちに、人の目を気にしすぎてしまうことも。
でも、その弊害に気づいたら、嫌われること、ヘンに思われることを怖がらないで、自分はどうしたいのかを大切にして行動してみるチャンス。
思うように振る舞えば、あぁだこうだ言う人は何をしても言ってくるし、受け入れてくれる人は受け入れてくれる。
そんなことが分かって、案外、人の目もそう怖いものではないことに気がつくかもしれませんね。