大人になって中島敦の『山月記』を読み返すとなかなか味わい深いものがあることに気づいた

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現代日本文学館 李陵 山月記 (文春文庫)

ジュンク堂でぶらぶら「ピン!」と来る本を探していると、中島敦の『山月記』を発見。

「そういえば高校の頃、国語の授業で読んだよなぁ」と懐かしくなりレジへ。大人になってからこの話読んでみると、「『山月記』って結構深い話だなぁ」と感じました。

『山月記』の内容

『山月記』は中国の唐の時代を舞台にした話で、田舎の秀才だった李徴という男が主人公の話。

李徴は才能があり頭は切れるのですが、とてもプライドが高い男。「俺はこんなところで終わる男ではない!」と勤めていた役人の仕事を辞め、詩人として成功を目指します。

ところが、何年経っても成功することはできず、生活は困窮。

詩人として成功することを諦め、再び役人へ。ところが、役人になってみると、「あのアホどもが」と思っていた同僚たちが李徴よりも出世して、世の中で活躍。

それを知った李徴はとんでもない挫折感を味わいなんとか暮らしていますが、ある日ついに発狂して、行方不明になってしまいます。

数年後、李徴が山中でトラになっているところを旧友に発見されます。李徴は友に自分の惨めな人生を語り、残した妻子どもの世話を頼み、山へ消えていきます。

人はモヤモヤを抱えて生きていく、だけど

高校の頃、国語の授業でこの話を読んだときは、えらく堅苦しくて道徳的な話だなぁと、あまり感動することはありませんでした。

でも、大人になって改めてこの話を読んでみると、寓話でありながら、えらくナマナマしい話のように感じます。

出世願望、成功願望、「俺はこうなりたい!」と思っていた男がいて、しかし現実は夢かなわず。理想があるがゆえ、己に誇りを持っているがゆえ、上手くいかない自分の人生を認めることができない。

再スタートしても、釈然とせず鬱屈した日々を送る。そしてある日発狂、トラに「変身」して山の奥地へ。畜生に身をやつし、誰にも知られず生きていく。

しかし、トラに身をやつして世の中からフェードアウトしても、自分の傲慢な精神については全く反省していない・・・。

解釈云々は置いておいて、人生は必ずしも自分の思い通りにいかないもので、予想外の出来事の連続。李徴のように世の中から消えてしまいたいと思ってしまうときもあるかもしれません。

そこで、なぜ上手くいかないのか、方法が間違っていたのではないか、いろいろ内省が必要となると思うのですが、李徴の面白いところは、最後の最後まで自分のことしか考えていないところです。

自分のせいで妻子に貧乏させて苦労させているのに、考えているのは自分の名を残すことだけ。トラになってしまったあとも、その態度は変わっていません。

トラになったあともくだらない詩を書いて、妻子の安否を気遣う前に友に惨めな自分の人生を愚痴り、自分の詩を記録しておくように頼む。うーん、なんという自己中心性。

こんなことを考えていると、なぜ秀才で才能があった男がトラにまで身をやつしてしまうのか、どんな男が堕ちるところまで堕ちるのか、いろいろ想像できて面白いです。

人生光あれば闇があり。人生は単純なものではなくて、希望に失望、いろんなものが折り重なってできていくものだと思います。

思い通りにいかない、想定外予想外のこともいろいろありますが、結果がどうであれ、それは自分の道。大切な道なのかもしれませんね。

本はこちら

現代日本文学館 李陵 山月記 (文春文庫)

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