世の偽善を軽快に斬る傑作『侏儒の言葉・西方の人』を読んで

侏儒の言葉・西方の人 (新潮文庫)

千田琢哉著『本を読んだ人だけがどんな時代も生き抜くことができる』で紹介されていた『侏儒の言葉・西方の人』(新潮文庫)を読みました。

芥川龍之介を読むのは学生の頃以来。「蜜柑」が個人的には好きで、『或阿呆の一生』はきつすぎてダメでした。

『侏儒の言葉・西方の人』ですが、前半が「侏儒の言葉」、後半が「西方の人」「続・西方の人」という構成になっています。

内容など

「西方の人」はキリストの話で、サッと流し読み。「侏儒の言葉」は面白かったです。

鋭く含蓄のある言葉がてんこ盛りで、思わず「ドキッ」としてしまう言葉がたくさんあります。

「恋人と云うものは滅多に実相を見るものではない。いや、我我の自己欺瞞は一たび恋愛に陥ったが最後、最も完全に行われるのである」(P10)

「創作は常に冒険である。所詮は人力を尽くした後、天命に委かせるより仕方ない」(P23)

「美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである」(P25)

「完全に自己を告白することは何人にも出来ることではない。同時に又自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない」(P26)

完全に幸福になり得るのは白痴に与えられた特権である」(P33)

「あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。もし寸毫の虚偽をも加えず、我我の友人知己に対する我我の本心を吐露するとすれば、古えの管鮑の交わりと雖(いえど)も破綻を生ぜずにはいなかったであろう」(P46)

「人生を幸福にする為には、日常の瑣事(さじ)を愛さなければならぬ」(P47)

「子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は必ずしも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与える影響はー少なくとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである」(P66)

「最も幸福な芸術家は晩年に名声を得る芸術家である」(P70)

という具合に、丸暗記して使いたい言葉満載。適度に入る毒がいいですね。

感想など

個人的に印象に残ったのは、二宮尊徳の話。

「貧乏で苦労し、働きながら夜遅く勉強。それはそれで美徳だが、この美談の裏にある、尊徳の親のダメさは、批判されるべきも。尊徳の親が子供に与えたのは損害や障壁だけ。あるのは息子を使用人のようにこき使う親の利己主義だ」(P42)

というような内容があるのですが、これはまさしく、誰もが触れない話です。

尊徳自身の偉人話は、それ自体推奨される話かもしれません。

しかしそのような偉人が生まれた負の環境については、誰もが口を開かないか、気にしない。これは確かに不思議です。

このように、美談の裏にはダークな部分があり、ダークな部分の表には、光があります。

「侏儒の言葉」はこのような人間世界の様々な偽善や欺瞞を軽快にバッサリ。読んでいて心地良さを感じます。

しかも、「侏儒の言葉」は一文一文が短いので、簡単に読めました。

ただ、この本の最後に収録されている「続・西方の人」を読むと、芥川龍之介の苦悩のようなものが感じられ、読むのをためらいましたが・・・。

芥川龍之介の一般的な作品を読みたいなら、ほかの作品が良いかも。

「侏儒の言葉」は、あくまで社会の泥臭い世界、偽善に満ちた表舞台を知る人のための本かもしれません。

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