物事は「なるようになった結果」が正解という話

記念のお酒

時間が過ぎるのは早いもので今日で3月が終了。

1年の4分の1が終わってしまった話ですが、今日は自分にとって、2015年から始まった一連の案件が完全終了。人生における、一つの区切り的な一日となりました。

始まりには必ず終わりがある

思えば4年前の今頃はまだ札幌に住んでおらず、3月末の今頃の時期、心配にかられ急遽札幌にフライト。あれこれ懸案事項の対処にあたっていたもの。

が、時間が経てばすべての状況は変わります。必要なことを経験し、必要な学びを得たあとは、もうそれ以上、取り組む必要がないことは取り組む必要なし。

この案件に関しては実質的に2017年8月の時点で見切りをつけ、時間が経つのに任せていましたが、こうして本日完全終了。

物事は成るようになった結果こそが正しかったという、貴重な学ぶを得ることができました。

物事がなるようになる意味

今回、特に大きな学びを得たのは、やはり人生、努力よりも大切なことがあること。自分の意思や希望以上に人生において大きな要素があること。

そのことを改めて知ることができました。

すなわち、人生で我々は「○○を手に入れたい」「△△を実現したい」と様々な希望を持つことができます。

しかし、物事のなかには、いろんな事情によって、希望を持ってそれを得ようとしたところで全ては徒労に終了。最終的にはなるようにしかならないことがあります。

でもそれは別に悪いことではなくて、むしろなるようにしかならなかったことこそが、自分にとっての一番の正解である可能性があるのが、人生の面白いところです。

それは別に、「すっぱいぶどう」とかそういう話ではなく、結果的にそうなった、という話です。

正しいことは自分自身が知っている

我々の思考や希望が必ずしも正しいとは限りません。

むしろ、何かの間違いによって、間違ったものに執着してしまい、それを得たとしても結果的に「こんなものを手に入れたのは間違えであった」ということを実感させられる悲劇があります。

本当は対して必要でないのにいろんな事情でそれが欲しくなってしまい、執着してしまう。

結果、それが手に入ったあとは希望とは正反対の現実が待っており、一体自分はどこでどう間違えてしまったのか。途方にくれてしまう悲劇です。

それは物事と距離を取り、冷静に現実を見る力を取り戻すことによって初めて、気づくことができる視点です。

時間がすべてを解決する

30年以上人生を生き、その間、幾度も過ちを経験してきましたが、自分がツイてると思うのは、失敗による致命傷を受けないこと。

人生にはたった一度のあやまちによって、文字通り人生がもう2度と引き返せないラインまで進んでしまう危険な失敗があります。

そのような失敗は絶対に避けるべきで、それは文字通り致命傷になります。しかし、傷を負っても再起できる。そういう類の失敗なら、何度でも経験しておくことが長い人生、プラスになります。

たくさんあやまちを犯すことによって、無意識に「これはやめとけ」ということに気づくことができるからです。

最後に

間違っていることはやっぱり間違っている。

心が発するサイン、「やめとけ」というサインを感じたらもう二度と、感情に振り回されてむちゃをすることはないでしょう。

最初からそれを手に入れたところで自分が望む未来が待っていないことに気づいていたのに、感情に振り回されて執着し、挙げ句醜態をさらす。

「それを自分の本心ではない」ということに気づきつつも、断ち切れない甘さによってそれ相応の痛手を受けましたがまずは完全決着。これからの未来で安心できる材料ができたことを歓迎したいところ。

でもいつかきっと、こういうときもあったのだと、なつかしく思い出すのでしょう。