『地下室の手記』の感想 – 男は地下室へ逃げた、そして

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地下室の手記 (新潮文庫)

大学生時代に読んだドストエフスキーの『地下室の手記』を10年ぶりに再読。

この小説は、役所で小役人をしていたものの小金が入ったため仕事を辞め、地下室に引きこもった40歳の男、ネクラーソフ(この名前もいいですね)。

ネクラーソフは、「病んだ、意地の悪い人間」であり、病的と言って良いほど自意識が強い男です。それだけならまだしも、自身の虚栄心の強さから表の世界で生きていくことができず、地下室へ逃避し、引きこもり生活を続けています。

家族なし、友だちなし、恋人なし、そんな孤独なネクラーソフの鬱屈した自分語りが魅力なのがこの小説で、小説の前半部分は、ネクラーソフのひねくれた独白が刺激的。

ネクラーソフのキャラはどこか憎めず、リアルで彼のような人物が近くにいたら面倒ですが、「こういう人は今の時代もいるよな」と思わせるものがあります。

独特というか、悶々としたネクラーソフの暮らしがすぐそこに漂ってきそうな本で、今読み返してみても、彼の姿、キャラは新鮮で刺激的です。

感想など

10年ぶりに『地下室の手記』を読みかえしましたが、個人的に面白かったのは、ネクラーソフが娼婦のリーザにハマっていくところ。

娼婦の女性(リーザ)を買った挙句、お楽しんだ後は娼婦に説教したり、挙句娼婦に惚れてしまって口説いて自分の住所を書いた紙を渡したり、彼はある意味、とても純粋な男です。

振り子が右から左へ、左から右へ揺れ動き、ひねくれているからと思えば純真であったり、素直であったとおもえば傲慢だったり、対人軸が安定しません。

自分を愛してくれる誰かを求めながら、それが叶わず毒を吐き一人悶々をしている。しかし、引きこもって世間から逃げたにも関わらず、人を求めずにはいられない。

あぁだこうだ、一人で毒を吐いていても、ひねくれていても、結局その悩みは解消しきれず、人を求め、屈折した形でしか関われないネクラーソフ。

高すぎるプライド、自意識によって、結局人間関係は「支配」か「服従」、極端になってしまう。アンビバレント、そんな言葉がピッタリな男で、ネクラーソフの悩みは最後の最後まで解消されることなく、救いはありません

10年ぶり読み返してみると、初めてこの小説を読んだときと同様、ネクラーソフの自意識の高さや「それは違うだろ」とつっこみたくなる自爆行為は読んでいてもどかしい何かがあります。

でも、救いも何もないからこそ、この小説は面白いのかも。ネクラーソフの悶々とした感情、不器用な生き方も、なかなか味があります。

気持ちが内側に向かったときは、ときにじっくり内側に向かっていけばいいのかも。いずれにせよ、やがてまた、外へ向かうときが来るのだから。

本はこちら

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