『人間・この劇的なるもの』の読書感想 – 本当に、人生に自由はあるか

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人の一生は歩き回る影法師、哀れな役者にすぎない。

福田恆存著『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫)の読書感想です。

この本について

シェイクスピアの翻訳で知られる福田恆存先生の人間論。

生きることを劇になぞらえ、人生や人間について考察。

「私たちは私たちの生活のあるじたりえない。現実の世界では、主役を演じることができぬ。いや、誰もが主役を欲しているとはかぎらぬし、誰もがその能力に恵まれているともかぎらぬ。」(P10)

「生きる喜びとは主役を演じることを意味しない。端役でも、それが役であればいい、なにかの役割を演じること、それが、この現実の人生では許されないのだ」(P11)

「生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる。その必然性を味わうこと、それが生きがいだ。私たちは二重に生きている。役者が舞台のうえで、つねにそうであるように。」(P17)

など、「ガツン!」と来る言葉が満載の内容。

自分の「役」について、深く考えさせられる内容になっています。

感想など

「人の一生は何もかも思い通りに進むものではなく、自ら何もかもつくり上げるのではなく、役者が舞台の上で役を演じるように、自分という役を演じている」

いつからかそんなことを考えるようになったのですが、そんなときに出会ったのがこの本。

人生では、最初から演じられる役割がいくつか決まっていて、その役に応じて、人生という物語が進んでいく。物語を自分で作っていくことができないけれど、しかしその物語を進めていく、そのことに意味がある。

個人的にはこの本を読んでそんなふうに思いましたが、自分という人生の舞台、役割を演じているというのは言葉で分かりやすく説明することができないものの、その感覚は理解できます。

「人が人生で求めているのは自由ではなく必然性であり、常に役割を演じて生きている」(帯の言葉)のは確かにそうで、意識がI・Me・Mineにならず、一歩客観的に見つめてみると、確かに人生は一つの劇であって、自分はその舞台で演じている役者のように感じます。

舞台にはいろんな登場人物が登場して、様々な喜怒哀楽が繰り広げられます。その舞台に自分の意志を介在させることが多少は可能ですが、物語の大筋は決まっていて、それに沿って物語が進んでいきます。

でも、物語がどうであれ、その舞台の上演は一度限り。与えられた役を演じること、そのことに意味があるのかもしれません。

本はこちら

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