努力しても上手くいかないことは上手くいかない、であるならば

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足あと

2015年1月からあることに挑戦、それが自分のなかで一区切りつき、その体験を振り返って思うことがあります。

それは、「面倒なことほど労力がかかるわりに報いが少ないが、スムーズに行くことほど労力がかからないのに報いが大きい」ということです。

できることはスイスイ物事が進むが

上手くいくことは、本当にスムーズにいきます。

おまけに不思議なのは、上手くいくことは、特に頑張っている意識がなくても、自然に行動でき、自然に納得した結果が手に入ることです。

しかし、上手くいかないことは何もかもちぐはぐです。

何度もつまずき、試行錯誤が必要になるのに、結果に納得できないケースがほとんど。頑張っているのに思うようにならない、そんな状態が多いように思います。

「頑張ってダメだった」という経験は、自我の誇大化や自己万能感拡大を防ぐ上で大切なことですが、なぜ頑張って上手くいくことといかないことがあるのか、そこはずっと不思議に感じていました。

「あれがしたい」「これを実現したい」と思って行動する。あることは簡単に上手くいき、結果も素晴らしい。しかし、あることは物事が上手くいかず、結果も不満。

これはなぜなのか?

そんなことを考えていたとき、『諦める力』という本と出会い、「やっぱりそうなのか」と感じました。

「もしかしたら、上手くいかないかも」という直感は無視しない

お金と労力を費やしてきたにもかかわらず、努力したこと、工夫した行動が結果につながらず、思うようにいかない。

そういうときは、心のどこがで、

「もう無理、やめたほうがいい」

「自分が期待したものではない」

というような感覚があるのですが、

「もう少し頑張れば上手くいくかもしれない」

「これだけ続けたんだから、今諦めるのはもったいない」

など、簡単に諦めがつかないところも。

無理な可能性が高いこと、努力が徒労に終わることと分かりつつ、途中で引けなくなるのは、それまで投資した労力(お金)がもったいなくなるからかもしれません。

いわゆるサンクコストの問題ですが、費やした労力が大きければ大きいほど、自分の努力、労力がムダになることを恐れ、更に労力を追投資してしまいす。

しかしそれによってますます悪循環に陥り、引き際を誤まることに。やはり、どこかで「無理だ」と感じた時点で、やめることも勇気なのかもしれません。

一意専心は他の可能性を切り捨てること

とはいえ、やめ時を理解しつつも感情が正常な判断を邪魔し、ずるずる不毛な努力を重ねてしまうのが人の性。

「もしかしたら、上手くいくかもしれない・・・」とほんの小さな可能性に期待してしまいますが、このとき意識したいのは、諦めないことのリスクです。

結果が出ないこと、期待通りの結果が得られないことに時間と労力を費やす。それによって、他のことに挑戦するチャンスを自ら潰すことになってしまいます。

無理なことを続けることは、来ることのない相手からの連絡を、ほんの僅かな期待とともに待ち続けるようなもの。どこかの段階で、現実を受け入れる方が、ダメージが少ないのかもしれません。

一意専心、一つのことを選ぶことは、他の可能性を切り捨てること。

専心できることが上手くいくなら、一つに絞ってもいいのかもしれませんが、頑張っても上手くいかないのに一つのことに専心しても、「なんで上手くいかないんだ・・・」と落ち込むのが山。

だからこそ、一意専心するにも、何が上手くいく可能性が高いのか、何が失敗する可能性が高いのか、実現の可能性を考えた上で、行動することが大切だと感じています。

無理なものは無理と認め、費やす努力、労力を他のものへ向ける。その方が、努力が報われて、ハッピーになれる可能性がアップします。

やっぱり、頑張ったら報われたい。そんな風に思います。

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